生駒 忍

記事一覧

奄美の社会福祉家の胸像除幕式とその写真

きょう、YOMIURI ONLINEに、奄美で社会福祉活動、ゼローム神父の胸像設置という記事が出ました。奄美の福祉に力をつくした方が、記念されたものです。

見おぼえのある方も、いつのできごとだろうと思った方もいると思います。2003年に亡くなった方の10回忌の記念ならば、いつごろのものかはある程度見当がつきますが、具体的にいつだったのかは、この記事には見あたりません。物理的に運びこまれたのはいつなのか、私も把握できていませんが、除幕式があり、公式に設置されたことになったのは、今月2日です。奄美新聞のウェブサイトのその日の記事、ゼローム神父・胸像除幕式に、YOMIURI ONLINEよりもくわしい情報があります。

そのローカル紙の記事と見くらべると、気になるところが出てきます。「ゼローム・ルカゼウスキー神父(1922~2003年)の10回忌を記念し」とありますが、奄美新聞のほうでは、「胸像建立は昨年ゼローム神父の10周忌を迎えるにあたり実行委員長の栗栖=くりす=二郎さん(78)ら信徒が発案。」とありますので、1年のずれがあります。どちらなのか、真実ははっきりしませんが、七回忌と十三回忌の中間だとはいっても、「十回忌」に特別に記念するようなことは考えにくいですし、これはカトリックの神父の記念です。単純に、きりのよい没後10年の記念だと考えると、奄美新聞のほうが正しいのではと思います。YOMIURI ONLINEの記事は、年忌の数え方になじみがない記者が、わが国の多数派になじみのある信仰である仏教の用語で表現したつもりで書いたのかもしれません。写真のキャプションに、「ゼローム神父の胸像を清める郡山司教」とあるのも、司教は通じても、祝別はわかりにくいだろうと判断したためでしょう。

「傍らには、ゼローム神父の活動を記した石版も設けている。」とあります。以前に、「クリスマスの恐怖」の記事で、沖縄タイムス+の記事の「石版」について触れましたが、この記事にも「石版」が登場します。こちらの写真では像の向こうにかくれて見えにくい、そのかたわらのものは、奄美新聞のほうの写真で見ると、ぶ厚い石板です。これにインクをぬって印刷に使うのは、とても不便ですし、字が反転して読みにくいと思います。それとも、南西諸島には、こういう表記の「方言」があるのでしょうか。

写真については、神父像の鼻から何かが突きだしているように見えてしまうのも、気になります。写真を撮るときに、被写体ばかりに注意をとられたために、背景の入り方が被写体を殺すとまではいかなくても、下げてしまうような仕上がりになってしまうことがあります。社会福祉法人いたるセンターあけぼの作業所のブログにきょう出た記事、自己紹介の写真のようなものを、私もよく撮ってしまい後悔するのですが、なかなかむずかしいものです。プロであれば、以前に青いリボン運動の記事で触れたように、背景の入れ方を考えて撮るはずですが、今回の記事では、奄美新聞のほうではよく見える、「ゼローム神父」と書かれた正面のプレートも読めませんし、撮影位置を自由に選べなかったのだと思います。

保健福祉センター地域保健福祉課の表彰時期

きょう、福岡女学院大学心理学科Todayに、福岡女学院大学心理学科協力の子育て支援が高島市長から表彰されました!という記事が出ました。まずは、表彰おめでとうございます。

ですが、表彰されたのは誰でしょうか。タイトルや写真のキャプション、記事の1文目からは、「みなみん」という子育て支援の活動が、市職員に高く評価され、市長から表彰を受けたように読めます。ですが、表彰状では、「南区保健福祉センター 地域保健福祉課」が受けたことになっています。役所の中の互選で、役所の部課を表彰したようです。そして、市の位置づけは、記事で紹介されたきのうの読売新聞記事の切りぬきを見ると、よくわからなくなります。導入部には、「区役所に訴えた一人の母親の思いに市が応え、昨年5月に設置」とありますので、市が設置者であると考えられますが、記事の中ほどでは、「同区の福岡女学院大に臨床心理士を紹介してもらったり、学生ボランティアを派遣してもらったりして、全面的に支援」と、市ではないところによるものを、市も外から応援したような書き方です。一方で、今回表彰された地域保健福祉課による文書、発達が気になる子どもと親のためのサロンを開設しますを見ると、「南区において,同じ悩みを持つ保護者同士が気軽に集い,専門スタッフによる相談や情報交換ができるが場(サロン)“みなみん”を開設します」とあって、この主語は市の側のはずです。なお、福岡女学院大の関与については、「サロンの運営あたっては,福岡女学院大学や関係機関の協力を得て学識経験者等の助言・支援を受けながら実施します。」とあります。

この心理学科Todayの記事で気になったのは、表彰の時期です。タイトルを見ると、速報のように感じますが、表彰状の日付は昨年12月27日ですので、2か月も前です。きのうの読売の記事で表彰を思い出し、表彰状を持っての写真撮影をして、この記事にしたのでしょうか。あるいは、市長が表彰状をわたしたのはつい最近でも、表彰状もお役所の書類ですので、お役所的な事情で日付はこう書かなければいけなかったのでしょうか。そういえば、ラクに書けて通る企画書 77のルール(富田眞司著、すばる舎)に、書面に入れる日付の重要な意味の説明がありました。

記事では、ここが発達障害がらみの集まり、表彰状の表現でいう「発達が気になる子どもと親のためのサロン」であることには、言及されません。「地域の子育て支援」「行政と大学の協力関係のよいモデル」「心理学科の学生たちの学びの場」といった、大学が外部とつながる活動として位置づけます。ですが、学外者からは、発達障害がらみのところに大きな価値を感じるでしょう。読売の切りぬき記事の最後にある事例も印象的です。宮古毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、生き方の基準が確立していない現代人は、全体的に意味のつかみにくい論考で、「夫婦の虐待、子どもの虐待、自殺、ひきこもり、不登校、いじめ等の問題も、人が心理的欲求が十分に満たされておれば、その人は幸福であると言えます。」とあるのも理解しにくいですが、読売の事例では、育児サークルの満たされない体験から、親がいったん引きこもってしまい、不幸だったと思います。そして、この「みなみん」に救われたようです。

ことばでうまく言えない子どものいろいろ

きょう、宮古毎日新聞のウェブサイトに、教職員対象にSST講話/星槎大の岩澤さんという記事が出ました。読みにくいところはありますが、地域の学校関係者を対象としたイベントの報告です。

まずは、写真におどろきました。キャプションは、「講話をメモをとりながら熱心に聞く参加者ら」となっていますが、講話を熱心に聞いている最中には見えにくいと思います。大きい画像で見るとよくわかりますが、「幼小中学校の教職員ら」なのに、聴く態度とは思えません。見ている方向もまちまちですし、後ろのほうには出あるく人までいます。実際に聴いている場面ではなく、ほかのものの写真を、このキャプションで入れてしまったのでしょうか。ふと、msn産経ニュースの、共同通信が写真記者を懲戒解雇 偽装さらに4枚「撮影失敗を取り繕おうと…」を思い出しました。

「社会生活技能は一般的には社会生活をする上で、対人関係や共生のために必要な能力といわれている。」とあるのは、意外にユニークかもしれません。「共生」が入るのもそうですが、技法としての社会生活技能訓練ではなく、「社会生活技能」の定義は、なかなか見かけないものです。

その技能ですが、講師は、今日の子どもは「言いたいことは言えるが、言われたことがきちんと受け止められず、攻撃することで身を守るようになるなど、社会生活技能が欠けている」と主張したそうです。おっしゃるとおりだと思った方も多いと思いますが、それ以前に、言いたいこと、言うべきことを適切に言う段階でつまずく子どももいることも、忘れないでほしいと思います。内閣府による青少年とテレビ、ゲーム等に係る暴力性に関する調査研究の報告には、ことばでうまく言えないことが多い子どもほど、暴力行動をしたくなり、実際に暴力に走ることも多いとの指摘があります。また、子どもを蝕む空虚な日本語(齋藤浩著、草思社)を見ると、暴力がらみだけでなく、ことばできちんと言えない子どもの、学校現場でのさまざまな様相がうかがえます。

「よいおとしを」と書かれたおせち等の配布

きょう、茨城新聞のウェブサイトに、心穏やかな正月を 土浦、児童ら高齢者におせちという記事が出ました。つい、「児童ら高齢者」を読みまちがって、「老人だけど子役なのかい」を連想してしまいましたが、安否確認を兼ねて、小中学生が高齢者に料理を配ったというニュースです。

配布対象者は、どのように決めたのでしょうか。「市内約125世帯」と、はっきりした数のようでそうでないところも気になりますが、地盤沈下のいちじるしい土浦ではあっても、高齢者のいる世帯がそれだけのはずはありません。計145食ということは、大半の配布対象世帯には1食ずつになりますので、安否確認の必要性が高そうな状態の世帯をピックアップしたのかもしれません。

「おせち料理は、くりきんとんや黒豆など18品。」と、本格的なようで、そこに「市立土浦二小の3年生」によるかけ紙がかかっているそうです。ですが、「「ふじさんのゆめをみてさいこー」「よいおとしを」などのメッセージ入りの楽しいイラストが描かれた。」というところには、少しおどろいてしまいました。土浦第二小学校の先生方は、これでよいと判断したのでしょうか。わかりやすい日本語の乱れである「さいこー」もそうですが、年内に届けるのが現実ではあっても、暮れのあいさつである「よいおとしを」は、よいのでしょうか。この社協では、よくあるおせち配布だけではなく、年越しそばも合わせるところがユニークですが、この記事の書き方では、「よいおとしを」もおせちのほうにかけてあるはずです。作りおきではあっても、新年らしいものに旧年をふり返らせるメッセージは、落ちつきません。どんな世代でも、どんな人生でも、せめて年の始めくらいは、前を向きたいものです。そういえば、東京カレンダー 2014年2月号(東京カレンダー)では、AKB48の小嶋陽菜が、「振り返らないタイプ」だと言っていました。幸せな結末(大滝詠一)では、「振り返るのは終わりにしよう」と歌われていました。きょう、それを歌った大滝の訃報が入りました。ご冥福をいのります。

「平野新聞」があさってで終刊となります

きょう、中國新聞のウェブサイトに、手作り新聞200号発行で幕という記事が出ました。ちょうどきょうで民生児童委員を退任する、杉山信正という人による手づくりの新聞が、まもなく終刊になるというニュースです。

若い人が新聞から離れて、新聞が高齢者向けのメディアとなりつつありますが、これは高齢者が「高齢者の安否確認の際の話題づくりに役立てよう」と、「執筆や印刷、配達を1人で」行ってきたという新聞です。名前は「平野新聞」ですが、山あり谷ありだったのではないかと思います。それも、公務員のお仕事のかたわらと考えるとさらに敬服しますが、業務の一部であると見たほうが正しいでしょうか。この人はお給料の出ない公務員なので、どこまでがお仕事なのか線を引くのは、あまり意味がないかもしれません。

終刊について、この発行者は、「残念がる声が多く、大変うれしい。」と言っています。残念とうれしいとの対比が、先週末に発売された年末ジャンボミニ7000万や、デイリースポーツオンラインにきょう出た記事、元フジ長谷川氏、古巣の問題を暴露にある「非常にちょっと天才入ってる」のような、上・下・上ほどではありませんが、注意をひきました。ですが、自分のしたことについて残念と言われたときに、どう返答するかはむずかしいものです。申しわけないと低頭するのは、かえって気をつかわせてしまいそうです。ほんとは好きだよ(小林深雪作、講談社)にあるように、きらいはたくさん言えるのに好きは出しおしみするものですが、利用低迷で廃線が決まってから、残念だととなえて乗客を増やしにくる人には、おわびや自罰の思いでこたえるべきでしょうか。千代の富士の、大乃国にやぶれた有名な一番の後での返答、「もっと残念ですよ」は、凡人にはなかなか使えません。やはり、うれしいと明るく返すことになるのでしょうか。そういえば、「サブちゃんの十大習慣健康法」の4番目に新聞を読むことを挙げている、100歳時代を生きぬく力(曻地三郎著、東洋経済新報社)には、「なぜかというと、他の人が悲しい気分でも、笑顔でおれば、自分だけは明るい気分でいられるから。」という冗談があります。きょう、その曻地の訃報が入りました。ご冥福をいのります。