生駒 忍

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フランスの法定年金には国庫負担が入ります

シリーズ第10弾です。

ワークブック302ページに、フランスの社会保障制度が、ごく簡単に説明されています。ですが、誤りを含んでいます。

「年金は、法定年金、高齢者連帯手当の2つである。」とありますが、老齢年金がこの2種類ということです。障害年金や遺族年金に相当する無拠出給付もあります。

「法定年金は、40年以上の被保険者期間と年齢60歳を要件として支給される。」とあります。だとすると、現在で25年、改正後で10年になる予定の、わが国の国民年金の最低加入期間をはるかに上回る、きびしい制度だということになりますが、そんなことはありません。厚生労働省のサイトの、諸外国の年金制度:フランスを見てみましょう。最低加入期間はなしとあります。ただし、厳密には、フランスでは加入期間を四半期単位で数えますので、最低で3か月は必要になります。筆者は、60歳から満額で受給するための条件を書きたかったのでしょうか。なお、支給開始年齢は、前のサルコジ政権下で62歳まで延ばすことになり、オランド政権では一部を公約どおりに60歳へ戻すことになりました。そのかわりにと言ってよいかわかりませんが、ブルームバーグのHollande Presses French to Embrace Social Revamp to Spur Growthという記事によれば、給付の減額にも手をつけざるを得ないようです。そういえば、60歳へ戻したときに、フィナンシャル・タイムズが、Hollande's first step is a faux pasという社説で批判していました。

「法定年金に国庫負担は原則なし。」とありますが、これも誤りです。もう20年以上、しっかりと租税が投入されています。

相対的剥奪はしたくてもできない状態です

シリーズ第9弾です。

ワークブック318ページに、「タウンゼント(Townsend, P.)は、所属する社会で標準的とされる生活様式や習慣、活動に参加できない状態を貧困ととらえ、当たり前とされる生活から外れることを相対的剥奪として、新しい貧困観を提示した。」とあります。タウンゼントのつづりは、専門家にもまちがわれやすいようで、世代・ジェンダー関係からみた家計(小泉眞麻子著、法律文化社)は、引用文献のところでは"Townsent"と書くありがちな誤りをくり返していますし、MINERVA福祉資格テキスト 社会福祉士・精神保健福祉士 共通科目編(ミネルヴァ書房)では、ほかではあまり見かけることのない、"Thownsend"という誤り方をしていますが、このワークブックでは正しく書けています。ですが、相対的剥奪の説明としては、これでは誤解をまねくように思われます。

まず、先にふれておくと、相対的剥奪という用語は、タウンゼントがつくり出したものではありません。American soldier: Adjustment during army life(S.A. Stouffer著、Sunflower University Press)が初出であることは、タウンゼントも認めています。

では、タウンゼントのいう相対的剥奪とはどんな状態かというと、「人々が社会で通常手にいれることのできる栄養、衣服、住宅、居住設備、就労、環境面や地理的な条件についての物的な標準にこと欠いていたり、一般に経験されているか享受されている雇用、職業、教育、レクリエーション、家族での活動、社会活動や社会関係に参加できない、ないしはアクセスできない」、これはInternational analysis of poverty(P. Townsend著、Harvester Wheatsheaf)からの、高齢期と社会的不平等(平岡公一編、東京大学出版会)にある和訳です。また、あの大著、Poverty in the United Kingdom: A survey of household resources and standards of living(P. Townsend著、University of California Press)の915ページ、"the absence or inadequacy of those diets, amenities, standards, services and activities which are common or customary in society"でもよいでしょう。ほかに、31ページも有名ですが、長くなるので、ここでは引きません。

ワークブックの記述では、貧困と相対的剥奪とが分けられていますが、実際のところは、必ずしも明確ではありません。さきほどの915ページには、"If they lack or are denied resources to obtain access to those conditions of life and so fulfil membership of society, they are in poverty."ともあります。広くまとめて、相対的剥奪の定義としてあつかったほうがよいかもしれません。

また、ワークブックで相対的剥奪として示されているのは、「当たり前とされる生活から外れること」ですが、この表現は適切ではありません。そのあたりまえの、ディーセントなくらしもできるのに、あえて外れるような場合は、相対的剥奪には含めないはずです。飽食の時代に食べないことを志向するダイエット、日本で必死で貯金して途上国でゆるい日々を送る外こもり、大寺院に属しながらの壮絶な荒行、いずれも相対的剥奪とは考えにくいでしょう。相対的剥奪は、できるのにしない状態ではなく、どんなにしたくてもできない状態であるということが、ここの表現からはつかみにくいと思います。

ちなみに、できるのにしないという選択の議論は、このワークブックではすぐ後に登場する、センのケイパビリティ論へとつながります。ごく大まかにいえば、選択の自由の幅が広いことを重要視することになります。ですが、いろいろな選択肢が手もとにそろうのが、ほんとうに豊かで、よいことなのかは、むずかしいところです。あえて質素なくらしに徹した先人たちを論じた清貧の思想(中野孝次著、文藝春秋)からは、所有をなくすほど精神の自由がひろがるというような考え方をかいま見ることができます。心理学者による古典では、自由からの逃走(E. フロム著、東京創元社)はもちろんですが、ウォールデン ツー(B.F. スキナー作、誠信書房)も興味深いでしょう。そして、最近では、さらに別のアプローチも見つかります。Xイベント 複雑性の罠が世界を崩壊させる(J. キャスティ著、朝日新聞出版)では、複雑性が高まりすぎて確率的にさえ予測がむずかしい問題の問題が論じられますが、その中で、経済力がある人ほど選択肢が増えていってしまうことへの言及があります。また、1週間ほど前のWSJの記事に、When Simplicity Is the Solutionという、キャスティの問題提起にもつながるものがありました。80万本を超すアプリを配信するAppストア、ランチメニューなどを除いてもメニューが240種を超すチーズケーキファクトリーなどを例に出して、複雑化することの問題を示し、単純に、簡潔にするよさを述べています。そして、この主張は、その名もずばりのSimple(A. Siegel & I. Etzcorn著、Grand Central Publishing)という本として、そろそろ出版されるようです。

扶助費は政令指定都市の歳出の23.3%です

シリーズ第8弾です。

ワークブック239ページに、「2010(平成22)年度の団体規模別歳出決算において、歳出全体に占める扶助費の割合は、市町村合計では19.3%であるが、政令指定都市では23.1%、人口1万人以上の町村で11.1%、人口1万人未満の町村で5.6%であり、市と比較すると町村のほうが低い割合となっている(「地方財政白書」(平成24年版))。」とあります。扶助費を、生活保護に関する費用とイコールだと誤解してはいけないのはもちろんですが、示された割合のうち、政令指定都市の数値は、まちがっていますので、これを覚えてはいけません。

平成24年版地方財政白書を見てみましょう。この話題は、第1部、131ページの下のほうの図、第114図に対応します。政令指定都市は、23.3%となっています。なお、先日公表された平成25年版では、149ページの第113図にあって、指定都市は24.2%です。

ワークブックがしている、町村は人口規模で分けた数値を、市については政令指定都市のものだけを出して、そこから市と町村との一般的な大小関係をみちびくという不自然な書き方について、この図のつくりを見て、事情がわかったという方もいるでしょう。ですが、それを越えるのは、たやすいことです。この白書の後ろのほう、資料編のページ番号が「資73」となっているページに、第74表があります。これがあれば、人口で分けない町村全体での割合も、市全体での割合も、すぐ計算できます。すると、市は20.7%、町村は9.3%とわかります。これを出したほうが、読者には読みやすく親切かもしれません。そうはいっても、おそらく著者の意図は、地方財政白書のデータに基づく割合を示すことではなく、地方財政白書に載っている割合を示すことのほうにあって、そのためにこのような書き方をとったのだと思います。町村のほうが低いというのも、132ページには、理由つきで載っていることです。

ちなみに、この白書の名前には、ややややこしいところがあります。ワークブックでは、本文と図とで、呼び方を変えています。本文では常に、冒頭に示したものと同じです。5回登場するうち、最初は「地方財政白書」のかぎかっこを含めて重要用語として色文字にして、途中では何もせず、最後はかぎかっこを除く6文字が色文字になるという変化があるだけです。ですが、図では異なります。239ページの図2の一番下を見てください。とても小さな字で、「資料:総務省ホームページ「平成24年度版地方財政白書」を一部改変」とあります。本文とは異なり、版の表示を前に回して、名称の中に加えています。では、正式な呼び方はどちらでしょうか。この白書は、地方財政法30条の2に基づく法定白書ですが、これまでのところ、正式名称を定めた規定はありません。平成24年度版で見ていくと、市販のものは、表紙に平成24年度版(平成22年度決算)地方財政白書とあり、総務省による編集となっています。一方、総務省ウェブサイトの白書のページには、「平成24年版地方財政白書」とあります。ワークブックの図と同じです。そして、このページからはHTML版とPDF版との両方を見ることができますが、HTML版のほうに行くと、市販のものの表紙と同じ画像がむかえてくれます。ですが、PDF版のほうでは、表紙に「地方財政の状況 平成24年3月 総務省」とあって、その次のページでの書き方から、「地方財政の状況」と呼ぶべきものであると理解できます。CiNii Booksで地方財政白書を検索すると、大学図書館等での登録の混乱ぶりをうかがい知ることができます。

マクルハーンではなくマクルーハンです

シリーズ第7弾です。

ワークブック124ページから125ページにかけて、「マクルハーンは、地球全体が1つの村のように緊密な関係になることを何と表現したか。」という出題があります。正解は、すぐ右にあるように、「グローバル・ビレッジ」だということです。正確には、緊密な関係になること自体ではなく、緊密な関係になったものがグローバル・ビレッジなのですが、ここでは目をつぶりましょう。一方、この正解の参照先として示されたところに戻ると、100ページから101ページにかけてですが、「マクルーハン(McLuhan, M.)は」と書き出されています。

「マクルハーン」と「マクルーハン」、どちらが正しい表記でしょうか。もちろん、外国語の発音をカタカナにあてはめることに正解はないといえばそれまでですが、たいていの文献では、「マクルーハン」と書かれているはずです。ですので、覚えるのであれば、そちらが無難でしょう。ほかに、「マックルーハン」と書くこともありますが、これも少数派です。生誕100年に合わせて出版されたマクルーハン(河出書房新社)では、竹村健一がテレビ時代の預言者M・マックルーハンで、1か所を除いてすべて「マックルーハン」で通していますが、これは1966年に書かれたものの再録で、2002年のメディアの軽業師たち(ビジネス社)では、竹村はその例外だった「マクルーハン」のほうに合わせています。

なお、本物の発音は、それでもまだ異なります。信じられない方は、発音を聞けるサイトを当たってみてください。PRONOUNCE IT RIGHTでのMarshall McLuhan、FORVOでのMarshall McLuhan、どちらでも、長音記号の位置は「マクルーハン」に合致しますが、「ハ」の子音があるようには聞こえません。アクセントが両者で異なりますが、音はほぼ同じはずです。見なれた「マクルーハン」という文字と、より昔からあるこの発音の聴覚と、競合をおこすところが、何ともマクルーハンらしいとも思えます。

都道府県社会福祉審議会への諮問者

シリーズ第6弾です。

ワークブック228ページに、都道府県に関する福祉行政についての説明があります。その一番下に、「都道府県には、社会福祉法に基づく地方社会福祉審議会の設置が義務づけられており、都道府県知事や政令指定都市、中核市の長の諮問に答え、関係行政庁に意見具申を行うことができる。」とあります。「諮問」には、ふりがながふられていて、親切だと思います。ですが、内容は、適切ではありません。

地方社会福祉審議会は、社会福祉法の2章に基づいています。7条は、都道府県、政令指定都市、および中核市に、この審議会が置かれると定めています。そして、7条2項には、「地方社会福祉審議会は、都道府県知事又は指定都市若しくは中核市の長の監督に属し、その諮問に答え、又は関係行政庁に意見を具申するものとする。」とあります。このワークブックでは、196ページから197ページにかけて、社会福祉法のこの部分を取りあげています。こちらは、条文をそのまま示しているだけですので、適切でないというようなことはまったくありません。

228ページのほうが適切ではないのは、まず、意見具申の主体です。「諮問に答え」「意見具申を行うことができる」のは、この文のつくりですと、「都道府県」であるようにも読めます。ですが、都道府県社会福祉審議会は、都道府県知事に任命された委員からなり、知事の監督の下に置かれるとはいっても、都道府県の組織ではなく、附属機関です。ですので、この審議会の活動は、都道府県の活動ということにはなりません。

また、主体が都道府県ではなく、その地方社会福祉審議会であると読んだとしても、やはりまちがいがあります。都道府県に地方社会福祉審議会が置かれることはたしかですが、その審議会は、都道府県知事の諮問に答えます。政令指定都市や中核市の長の諮問は、それぞれの市の地方社会福祉審議会が受けるのですから、都道府県社会福祉審議会の出番ではありません。

ちなみに、これらの審議会の呼び方ですが、社会福祉法7条には「社会福祉に関する審議会その他の合議制の機関(以下「地方社会福祉審議会」という。)」とあります。以前の社会福祉事業法では、6条2項にこれに対応する条文がありますが、単に地方社会福祉審議会とだけあります。地方分権推進委員会第2次勧告が反映されたのだと思われます。もちろん、テキスト等で取りあげる際には、一般的に使われる呼び方として、地方社会福祉審議会で通してかまわないでしょう。ですが、かつて「中央社会福祉審議会」は実在しましたが、「地方社会福祉審議会」という名前の審議会はどこにもなく、それぞれは自治体名+社会福祉審議会と命名されるのが一般的で、それらをまとめて呼ぶ場合の呼び方だということも、どこかで触れておけると、なおよいと思います。