生駒 忍

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ニート減少に関する計算方法と福祉的支援

きょう、BLOGOSに、ニートは、新しい「福祉」課題~それは雇用対策ではないという記事が出ました。10日ほど前に話題になった、平成26年版子ども・若者白書が示したニート3万人減少の報道を受けて書かれたもののようです。

人数に関する「しょぼいごまかし」の検証から入っています。「素人計算なので間違ってたらごめんなさい。」と謙虚な態度ですが、大きくはずれる計算ではないと思います。ですが、特徴的な認識が少々見うけられます。まず、「いまの15才は少子化が始まったあたりの年齢であり、その年齢の人口は118万人いる。」としますが、少子化の始まりはそれよりずっと前でしょう。いつからとぴったり決めるのはむずかしいですが、家族の衰退が招く未来 「将来の安心」と「経済成長」は取り戻せるか(山田昌弘・塚崎公義著、東洋経済新報社)には、「日本の少子化が始まるのは1975年頃からです。」とあります。少なくとも、平成25年人口動態統計月報年計(概数)の概況で推移を見れば、世紀が変わるころが始まりだとは考えにくいことがわかります。少子化と少子化対策を混同した上に、少子化対策推進基本方針を少子化対策の始まりだと考えたのでしょうか。内閣府のウェブサイトの国の取組みを見ると、それ自体は図には登場しませんし、新エンゼルプランはこの基本方針と対応しますが、「新」のほうを知っていて、エンゼルプランを知らないとは考えにくいはずです。

「団塊ジュニア世代の最期」とあって、皮肉のつもりの誤字かどうかはともかくとしても、第2次ベビーブームによる人口の山は、ニート人口の分布を大きくは左右しなかったようです。白書の39ページ、第1-4-13図の左側を見れば、世代間の比率は安定していることがわかります。団塊ジュニアが34歳を越していったここ10年間も、おおむね横ばいです。

「15~34才の若年無業者の割合は2.2%らしいので、これを35才年齢にも当てはめてみるると、161万人の2.2%は3万5千人程度となる。」とあります。「2.2%らしい」と、白書に明示された数値をうたがうような書き方なのが気になります。人数が減ったというという事実を「しょぼいごまかし」とみることの検証の中で、実は割合でみても減少している事実を認めるわけにはいかなかったのでしょうか。ですが、35歳に対しては、この率ではやや低いはずです。この2.2%はその35歳が含まれないデータの数値ですので、この世代がぎりぎり入っていた直近のデータ、2.3%のほうが、どちらかといえば妥当かもしれません。また、低い年齢層ではニートがまだ発生しにくいので、それを含めた全体での割合からでは、低めの推測になるでしょう。NEETの2番目のEか3番目のEかには混乱がありますが、学生の間は「無業」でも定義からはずれます。少し前のデータですが、内閣府による若年無業者(15~39歳)数及び割合 ~就業構造基本調査(平成19年)の再集計結果~を見てください。

それと関連しますが、「でも、63万から3万5千を引くと59万5千人のはずなのに60万人なのは、新しい15才のニートが案外いるのか、全世代にわたってプチ増加しているのか?」とあるのも、気になる理解です。この筆者なら、ニートのかなりの割合を占める引きこもりの実体を、知っているはずです。中学校の不登校からそのまま移行した引きこもりの多くは、ニートの定義に該当します。「案外」なのかはわかりませんが、これだけで一定数がいるはずです。また、「プチ増加」という表現がよいかどうかはともかくとしても、むしろニートの大半は、15歳よりも後でニートになります。未成年のうちは、先ほどのEがあることでニートに入りようがない人が大半であることが、高校進学率、大学進学率を考えれば見当がつきます。また、ニートと強く対応する引きこもりのデータが、白書の41ページ、第1-4-17図にありますが、きっかけの1位は「職場になじめなかった」です。6位の「大学になじめなかった」も同様ですが、中学校卒業時点にすでにではなく、その後でそうなったことが明らかなきっかけです。個別の割合はわかりませんが、高校の不登校、大学受験の失敗、大学卒業時の就職活動の失敗などの関与もあるでしょうから、ライフステージごとに新規参入のタイミングがあり、同世代ですでにニートの人がそれ以上に脱却しないかぎりは、各世代の「プチ増加」は避けられません。

「子どもの社会保険や「障害者年金」の可否」とありますが、公的年金に「障害者年金」という制度はありません。ニートの場合、障害厚生年金や障害共済年金に該当する人は少ないでしょうし、ニートになる前のアルバイト中の労働災害を理由としての障害年金や障害補償年金も可能性としてはありますが、ほぼ障害基礎年金のことだと考えてよいでしょう。ですが、「ひきこもりの高齢化」と関連した議論であれば無拠出年金は考えにくいので、残り2年を切った特例はあるにしても、保険料納付要件は避けられません。なお、国民年金といえば、ニートの定義が34歳までなのは、国民年金の受給資格期間とのからみだというお話を考えると、10年に短縮されるのですから、定義を変える機会につなげられるかもしれません。

最終的には、「これは、「減らない」種類の問題」として、タイトルにあるように、ニート問題は福祉の問題だという結論にいたります。筆者のお仕事に関連する福祉予算を増額しろと言いたいのだと読んだ人もいるかもしれませんが、私が思い出したのは、社会的ひきこもり 終わらない思春期(斎藤環著、PHP研究所)です。この本はもちろん、ニートではなく引きこもりを論じたものですが、抜けられない引きこもりに、精神保健福祉的な居場所の利用を提案していました。使いにくいところはあっても、現実的な選択として、その方向を挙げたのでした。「ひきこもり対応フローチャート」では、「社会参加」に抜けられない場合に入る先は、「テイケア・クラブの利用」「入院・ハウス利用」でした。

自分からは声をかけない若者と夜の米原駅前

きょう、ブッチNEWSに、この夏、真夜中の米原駅前はナンパ成功率99.9%!?という記事が出ました。

「青春18きっぷの意外な使い方」が副題のようで、だいたい内容の見当がついた人もいるでしょう。在来線で乗れるだけ乗って進んだために立ち往生になりがちな、「本当に「宿がない」街」の話題です。携帯電話から時刻表も宿泊先もあたれる時代になって久しいはずですが、それでも急なダイヤ乱れなどで、立ち往生が後をたたないのかもしれません。

筆者はそこを、「実はこれが絶好のナンパチャンスなのだ。」とします。そして、「断られるのが怖くて女の子に声をかけられない男性も、真夜中の米原駅に集合してみてはいかがだろうか。そこにいる女性は、“声かけられ”待ちの可能性大。」と呼びかけます。これに乗って、草食系男子が集まるようになるでしょうか。女神的リーダーシップ 世界を変えるのは、女性と「女性のように考える」男性である(J. ガーズマ・M. ダントニオ著、プレジデント社)によれば、林香織は草食化を「主体的な判断が尊重される好ましい傾向」と評価しましたが、主体的に動くことで、どちらもしあわせになるのならば、悪くないことだと思います。

ですが、声をかけられるのではなく、声をかけるほうになるのは、いまの若い人には、とにかくさけたいことなのかもしれません。J-CASTにきのう出た記事、社会人「ぼっち」の涙ぐましい努力 休憩時間が怖い!?に紹介された、「誘われなかったら、誘ったらいいじゃないですか。」というツイートが正論ではあっても、いやなものはいやなのでしょうか。ひと月ほど前、4月23日付の朝日新聞朝刊にあった、水野剛也という大学教員の指摘を思い出しました。大学生が自己紹介をするときに、人見知りを理由に、相手のほうから自分に話しかけるようにと求めるのだそうです。ライトノベル文学論(榎本秋著、NTT出版)が主体性の低い主人公と関連づけた、いわゆる落ちものの世界を、現実社会にも「主人公」にあるべき展開として求めたいのだとは、さすがに考えすぎだと思いますが、自分からさそうよりは、向こうから来るまで「ぼっち」で待つほうが、まだましなのでしょうか。

「ありのままの私を見てほしい」の恋愛心理

きょう、女子SPA!に、結婚が遠のく、アラサー独女の“3つの口癖”という記事が出ました。取材に基づいての「つい口にしちゃう3大口癖」の紹介です。

そのうち、1番目と3番目とは、似たものです。「どっかにいい人いない?」と、「出会いがないんですよねえ」です。あわせて使われることも多そうです。ですが、同じではありません。性差があるようです。1番目は「女同士で飲んでいて、ひとしきりグチったあとに出るセリフがこれ。」、3番目は「女性でも男性でも、最後にタメ息とともに出るセリフ。」です。1番目について、記事では同類の口ぐせとして紹介されたものも、女性用のようです。試しに、性別を入れかえてみると、「いい女はみんな結婚しちゃってる」、「独身のいい女はみんなレズ」、男性の口から聞きそうにないことばになります。

2番目は、方向性がまた別です。「ありのままの私を見てほしい」です。個性、そのまま、ありのままをよしとする近年ありがちなメッセージを、本気で信じてしまったのでしょうか。異性によく思われるように変わる努力ではなく、よく思われない現状を卑下するように見せながら、そのままでいいと言わせようとする、ロスジェネ心理学 生きづらいこの時代をひも解く(熊代亨著、花伝社)でいう「駄目な俺を受け容れてくれ症候群」のようです。あるいは、お見合い1勝99敗(吉良友佑著、PHP研究所)の法則25の、条件明示のスイーツ好き女性、フィギュア好き男性のような態度なのでしょうか。その2例は、すなおといえばそのとおりなのですが、理系のための恋愛論 Season 09 あなたは空気が読める人ですか(酒井冬雪著、マイナビ)の「気になる相手に、自分のことをありのまま全て話すと失敗する?」の視点も、そういうことには重要でしょう。Q&A 思春期のアスペルガーのための恋愛ガイド(G. ウーレンカム著、福村出版)にも、何でも正直に言わないほうがいいというお話がありました。

関西福祉大の「朝活」は交流目的でしょうか

きょう、関西福祉大学のウェブサイトに、関西福祉大学 「朝活」の取り組みについてという記事が出ました。

福祉系の大学ですので、資格試験へ向けた勉強会なのかと思いましたが、そうではありません。学生に1食150円で朝食を提供するのが、ここの「朝活」なのです。一般的なこのことばの意味からすれば、大学での朝食提供は朝活の支援にはなっても、朝活そのものとは考えにくいのですが、ここでは「朝活」です。もちろん、少し前に書いた万引き防止システムの騒動の記事で触れた「ブラック企業」のように、別の意味のほうが世の中に広まって入れかわってしまうこともあります。私は、この「朝活」はそうはなれないと思いますが、どうでしょうか。また、大学の人間に、正しい意味での朝活にあまりなじみがないことも、関係しているかもしれません。たとえば、「朝活の代名詞」としておなじみの丸の内朝大学を受講したというお話は、少なくとも、私のまわりの同業者からは、一度も聞いたことがありません。

ここの「朝活」の目的は何でしょうか。大学側の目的での朝食提供のようで、学生側が目的意識をもって来るものには見えにくいのが、ふつうの朝活のイメージとはまた違います。大学側としては、「朝型の生活を推奨」し、「特に入学したばかりの新入生に、学生生活のスタートから朝型の生活を定着させることもねらい」、「規則正しい生活のリズムを獲得しながら、学びの充実に繋げていく」ようにのぞむもののようです。1限の授業を週4こま持っていて、朝が苦手になる大学生の問題はよくわかりますので、これは大学の方針として有意義だと思います。

一方で、まったく別の方向性のねらいもあるようです。記事には、「食堂空間が、学生や教員の交流の場となってほしいとの願いを込めたものです。」ともあります。文の流れとしては唐突でしたが、この方向性でしたら、正しい意味での朝活でもあるように見えます。これもまわりの同業者が参加しているとは聞かないものですが、朝カフェの会は、飲食はありますがメインはそこではなく、あくまで交流の場で、1時間の違いですべてが捗る 朝活のススメ 安心して参加できる 厳選朝活ガイド付き(インプレスコミュニケーションズ)にも取りあげられました。そういう場なのでしたら、学生は目的意識をもって来るでしょうし、それが結果的に朝型生活をうながして、大学側のねらいも達成できそうです。ですが、教員の位置づけがよくわかりません。この「朝活」は「全学生を対象」としたもので、「学生や教員の交流の場」になるのでしょうか。また、交流を主目的とする場の色あいが強くなるほど、それが好きでない学生が敬遠するようになって、朝型のリズムをつくる機会を使えなくなってしまいそうです。この機会に苦手を克服しようと呼びかけても、週刊東洋経済 10月12日号(東洋経済新報社)でいう「頑張れないものは頑張れないし、やりたくない仕事はやりたくない」ナチュラル系学生は、全否定でおしまいかもしれません。いきなり「私はコミュニケーションが嫌いだ。」と書き出す、反コミュニケーション(奥村隆著、弘文堂)を思い出しました。

「透明な存在」の酒鬼薔薇と早大コピペ文化

きょう、NEWSポストセブンに、凶悪犯が酒鬼薔薇聖斗に憧れ宅間守や加藤智大に憧れない理由という記事が出ました。

これは、「柏「通り魔」だけじゃない!「酒鬼薔薇に憧れるネット男」が増えている」という中づりの見だしで気になった方も多いと思いますが、女性セブン 3月27日号(小学館)の、柏の通り魔殺人だけでなく、1月の狭山、先月の東京と、相つぐ「酒鬼薔薇」の影響を受けた事件に注目した記事からの抜粋です。「格差社会とネット文化」が背景にあるという、和田秀樹の主張が紹介されます。

「世間の注目を集めて自分を認めてもらおう」とあるのはそのとおりだと思いますが、気になるところもあります。まず、格差社会との結びつけです。酒鬼薔薇は、世間をにぎわした凶悪犯の中では、むしろ格差との関連がうすい人物です。宅間(吉岡)守や加藤智大のほうが、本人の真意はともかくとしても、くらし向きも、社会的反響も、格差と強く結びついたものでした。あるいは、もう起こした事件は忘れた人も多く、今では宗教を立ちあげ、岡山に礼拝地をおくなどの主張で一部の話題になった死刑囚、造田博でもいいはずです。そうならないのは、格差社会にもまれる人には、現実を意識させない存在のほうが、あこがれの対象になりやすいためでしょうか。そういえば、「働かずに稼ぐ方法ベスト25」を載せたSPA! 12月17日号(扶桑社)で鴻上尚史が、労働問題をテーマにした「ダンダリン」の視聴率がふるわなかったのは、みんなそういう企業ではたらいているのにドラマでまた見たいとは思わないためだろうと論じていました。

「酒鬼薔薇を崇拝する人々は、皆、小さい頃にあの事件をテレビで見て、日本中が騒然となった様子を肌で感じた世代」とあります。幼いころに、テレビ報道の洪水で水路づけされたと考えるのでしょうか。ですが、さかのぼってみて、オウム真理教事件の松本智津夫、幼女連続誘拐殺人の宮﨑勤、グリコ・森永事件の「かい人21面相」、「ロス疑惑」の三浦和義、ロッキード事件の田中角栄、連合赤軍の面々などが、それぞれその当時に子どもだった世代のあこがれを集めて、それぞれに対応する犯罪へみちびいたかというと、考えにくいところです。酒鬼薔薇の影響の大きさは、子どものころに接した世代というよりは、子どもにとっての同世代が犯人だったことによると思います。この、いわゆる酒鬼薔薇世代は、アスペルガー症候群を有名にした「人を殺してみたかった」の豊川夫婦殺傷、2ちゃんねるを有名にした「ネオむぎ茶」のバスジャックで、あの年にはまだ、17歳のこころの闇、キレる17歳などと誤解されたのですが、このコホートはその後も、注目を一手に集める通り魔殺人犯などを輩出するのでした。加藤智大も、その少し前の土浦通り魔事件の金川真大もそうです。加藤は金川の事件に、ネオむぎ茶は豊川事件に刺激を受けるなど、酒鬼薔薇からの影響が、同期の中をさらに回ることもあります。山口母親殺害・大阪姉妹殺害の山地悠紀夫や西尾ストーカー殺人・蒲郡通り魔のように、社会復帰後にまた事件を起こす例もあります。最近ですと、東スポWebに1か月前に出た記事、アイドル脅迫容疑で「第二の酒鬼薔薇」逮捕の、「自分の存在を認めてほしかった」という自称「第二の酒鬼薔薇聖斗」も、同世代です。

酒鬼薔薇の存在感の強さは、一般社会のどこかにいることにもよります。あの世代では、金川や山地はもう刑死しましたし、心神喪失で無罪となった者も思いあたりませんが、医療少年院に入ったネオむぎ茶を除けば、死刑どころか何の刑事罰も受けることなく、社会復帰となった例外的な存在なのです。週刊新潮2005年1月20日号によれば、復帰前にはカウンセリングを行った女医と「医者と患者を超えた信頼関係」となったそうです。ユングは複数の女性患者と関係をもち、心理学対決! フロイトvsユング(山中康裕編、ナツメ社)によれば、それは「創造の場としての「神聖」で「超越的」な関係」なのだというお話を思い出します。そして、現在どこでどうしているのかはわからず、特別に改名したともいわれますので、もし何かで亡くなったとしても、それが世の中に知られることはありません。ですので、酒鬼薔薇は誰も見ることができない「透明な存在」となり、永遠に生きつづけるのです。

もちろん、酒鬼薔薇だけが凶悪犯罪者を刺激するわけではありません。今回の記事のタイトルとは異なり、柏の通り魔は尊敬する人物として、宅間も挙げました。週刊文春 3月20日号(文藝春秋)には、本人の誤字と思われるところをそのままで、「XJAPAM」「沖田宗司」も尊敬の対象だとあります。TBS News iも、「宅間元死刑囚と酒鬼薔薇聖斗、尊敬している人だと。」というチャット仲間の発言を報じました。

宅間の影響は、酒鬼薔薇の次に位置するかもしれません。直接に宅間を使った例としては、「大阪から来たんだよ。宅間のお兄ちゃんだよ。」の事件があります。また、まったく性質の異なる事件でしたが、奈良小1女児殺害事件の小林薫は、「早く死刑判決を受け、第二の宮﨑勤か吉岡守として世間に名を残したい」と供述しました。まだ裁判中であった宮﨑は、これを知り、いやがったようです。そういえば、歌と宗教(鎌田東二著、ポプラ社)は、酒鬼薔薇のあの神を「バモイドウキ神」と表記しましたが、本人がこれを知ったらいやがるでしょうか。「おにばら」に抗議したときの気持ちを思い出すでしょうか。

さて、記事には「酒鬼薔薇は“時代の寵児”」「若い世代にとって猟奇殺人の“元祖”」とあります。影響を受けて、自分もと大きな事件を起こして注目を集めても、元祖を乗りこえることは容易ではありません。せっかく注目を集めたところで、元祖の流れをくむ、つまりオリジナルとはいえないものになってしまっては、「承認欲求」を満たしきれるのか、少し心配になります。その意味では、知名度の流用だとはっきり自覚がある「第二の酒鬼薔薇聖斗」や「宅間のお兄ちゃん」は、気負いがなく楽かもしれません。

気負わずに流用といえば、はてなダイアリーにきのう出た記事、早稲田大学の理工系におけるコピペ文化についてが、かなりの反響を集めています。横にならべるととび出して見えそうなレポートの執筆者をならべて事情をきくことのある仕事をしているので、ここまで突きぬけてしまえば、おたがいに楽かもしれないと感じます。ここに書かれた範囲でも、留年にもつながること、教員は採点をしないこと、「附属高校から上がってくるボンクラ学生がいること」、お金がないことなど、いろいろな要因が重なったことで、突きぬけたのだと思います。

あの大きな大学にお金がないとは、実感がわきにくい人もいると思います。ですが、Business Journalにきょう出た記事、早稲田と日大、なぜ学費大幅値上げ?補助金削減に志願者減…有名大学でも試練の時代によれば、早大と日大との学費の値上げが、他大ではない規模のようです。大学の学費には消費税がかかりませんが、両大学とも補助金を大幅に減らされたとあります。知名度や歴史は、お金とイコールではありません。

この2大学の組みあわせは、どこかで見おぼえがあると感じ、すぐに思い出しました。守一雄・東京農工大学教授が示した、大学の論文数と研究者数との相関です。グラフの右下に、まるでアンダー・アチーバーのようにはずれた2点が、その2大学です。筆者も指摘するように、私学に不利な要因もありますが、世間のイメージでは横にならぶ慶応と比較するだけでも、早稲田の苦戦は明らかです。早稲田は慶応の5割増しの研究者数で、論文数は3分の2にもとどかないのです。ここから、早稲田のコピペ文化などといわれるものは、あったとしても学部生まである、もしも上までそういう文化ならば、慶応に大差をつけられることはないはず、という解釈をしてもよいでしょうか。

その稲門閥の希望の星が、実はブラックホールだったかもしれません。あのNature論文だけにはとどまらず、本人の博士号、まわりの研究者の不正へと、問題は広がりつづけます。中日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、STAP疑惑底なし メディア戦略あだには、「会見に備え、理研広報チームと笹井氏、小保方氏が1カ月前からピンクや黄色の実験室を準備し、かっぽう着のアイデアも思いついた。」と、研究とは無関係にオリジナリティが見えたところまで、作りものだったと明かしました。上昌弘・東大特任教授のツイート、どうやら、小保方さんは剽窃・改竄の常習犯だった可能性が高いにあるように、どこかで暗黒面におちたのなら、ではどこでという問題も出てきます。早稲田のコピペ文化の発展なのでしょうか。それとも、稲門閥にはほかにこういう人は存在せず、特異な才能が目ざめただけなのでしょうか。

おとといには、「かけがえのないバイオの若い才能」と評価した人が、もうそのツイートを消してしまいました。小保方氏、早稲田応用化学会HPから顔写真が消えた! 「絶賛」「擁護」のブログやツイート、削除する有名人もにあるように、スプツニ子!というアーティストです。はみだす力(スプツニ子!著、宝島社)では、「日本にはあまりにも批判がない。」と言いきったこの人が、日本で批判を受けだした人物をいったんはかばいました。そのツイートを消したのは、自著と矛盾すると思ったためでしょうか、それとも、このままでは自分が批判されそうだと、心配になったためでしょうか。