きょう、しらべぇに、「自由律俳句」の作り方を学ぶ【双子タレント奈津子亜希子、人生体当たり!】という記事が出ました。
「先日、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんが月刊誌「文学界」で小説家デビューされることが話題になりましたね!」と、異例の増刷でも話題の文學界 2015年2月号(文藝春秋)の話題から入ります。ですが本題は、その又吉との共同作業の経験がある、「文筆家・せきしろ先生」への、自由律俳句に関するインタビューです。この筆名が、尾崎放哉の有名な自由律俳句を連想させます。
「あまり大きな声では言えないようなことや、心に漂うモヤモヤ、そんな「言葉にしづらい思い」こそ俳句になると話すせきしろ先生。私たちもタレントとして日々生活していくなかで、言葉にできない様々な葛藤を抱えて生活しています。」、タレントに限らず、誰でもあることでしょう。ことばにできないよりは、できるほうがよいと思います。内閣府による青少年とテレビ、ゲーム等に係る暴力性に関する調査研究には、「「むしょうに暴れたくなること」と「誰かを殴りたくなること」のいずれについても、高頻度群(言葉でうまく説明できない経験)ほど「よくある」(暴力に対する欲望が高い)」、「言葉で説明できない経験は、暴力への欲望だけでなく、実際の暴力経験とも強い関連を持っている。」とあります。一方で、東洋経済ONLINEに2週間前に出た記事、そして日本からオトナがいなくなった 平川克美×小田嶋隆「復路の哲学」対談(1)の、「「語り得ないもの」を抱えている大人」の議論も、興味深いところです。
「何よりも俳句がつくれる女性ってなんだか古風でモテそう」、どうでしょうか。普通のダンナがなぜ見つからない?(西口敦著、文藝春秋)で冷たく否定された自分みがきとはまた別の世界ですが、ここでは古典的な俳句ではなく、自由律俳句ですので、さらに想像がつきません。
「創作しようと思っていて道を歩いている時、水が流れてきたら「まだ出ている」と感じるのか「やっと出てきた」と表すのか。」、道に水が流れてくるという設定はやや奇抜ですが、哀愁につながる流れとして考えたのでしょうか。そういえば、プロカウンセラーの聞く技術(東山紘久著、創元社)には、「水があると人間は過去に帰れます。」とあります。さらにひねると、殺したい蕎麦屋(椎名誠著、新潮社)には、小さいころに水道から出る水を、「ジャージャー」ではなく「ジャカジャカ」と表現して笑われた思い出が登場します。
最後に、双子それぞれの作品が登場します。せきしろの評がないのは、しかたがないと思うべきでしょうか。妹のほうは、昨年の流行語とされるものが入って、悪めだちしてしまっています。ですが、ことしの流行語を読んで入れればよいというお話でもないでしょう。それでも、たとえば「ラッスンゴレライ」を詠みこむくらいにまで突きぬければ、それはそれで評価する人もいるかもしれませんが、やはり人を選ぶでしょう。
そういえば、しらべぇに先日出た記事、「【議論】60代女性の7割が「必要」ってどういうこと? 「女性専用車両」の今を大調査」には、「このデータ、少し穿った見方をしてみると、約7割の60代女性は「私達に女性専用車両は絶対に必要! 触られたらどうするの!」と思っていることに」、「いくら痴漢でも、人を選ぶと思いますがね。」とありました。なお、ある国立大生の筆によるこの記事は、この部分が一因になったと私は理解していますが、きょう夜までに、削除されました。