生駒 忍

記事一覧

言いわけする大人にさせない方法と尾鷲節

きょう、It Mamaに、ベストセラー教育家に聞く!子どもが将来「言い訳をする大人にならないため」の2つの秘訣という記事が出ました。

タイトルの「ベストセラー教育家」という表現がユニークですが、その人に「聞く」もののように見えて、本文には、「そこで今日は、『1人でできる子が育つ テキトー母さんのすすめ』の著者・立石美津子が“言い訳をしない大人に育てる秘訣”についてお話します。」とあり、立石美津子というライター自身が、「ベストセラー教育家」であるという設定で書いたものです。なお、「お話」に「し」が足りないようなのは、言いわけを「しない」ことにかけているのだと思います。

「「やってしまったこと」は素直に謝らせよう」とあります。はだかの王様への取り入りの記事で取りあげたよりもずっと小さくても、すなおなことはよいことです。

「例えば、子どもが牛乳をこぼしました。」という想定での、「ママ:「ママじゃなくて自分で拭こうね」」へと持っていく展開は、よいと思います。そして、「上手に拭けなかったら一緒に拭いて後始末を手伝うのは構いませんが、子どもでも自分のやったことに対しては自己責任を追わせましょう。」とします。「追わせ」とあるのが、つい気になりますが、尾鷲節が、「ままになる身を なしょままならぬ ままになる身を もちながら」、「親は樋の竹 子は樋の水 親がありゃこそ どこまでも」などと歌うことを連想させるねらいでしょうか。

「そんな躾が言い訳しない大人にしないための第一歩になりますよ。」と締めます。不必要に「しない」にひっくり返したために、結論をひっくり返してしまいましたが、ほんとうのうったえはその反対だと読めれば、混乱しないと思います。ふと、しない生活 煩悩を静める108のお稽古(小池龍之介著、幻冬舎)の24を思い出しました。

学級崩壊の低年齢化と早生まれのマタイ効果

きょう、mamatennaに、最近の子どもは昔に比べて幼いの?という記事が出ました。親野智可等への取材をまとめたものです。

「最近、小学校の先生が口をそろえて言うのが『今の子どもたちは、手がかかります。20年くらい前の子どもたちに比べて2~3歳は幼い』と。保育園や幼稚園の先生も同じことを言うんです。」、数字がこれでぴったりかどうかはともかくとしても、方向性としては同感です。発達加速現象は減速したようですが、からだの成長と見あわないことも、内面がより幼く感じられる要因でしょう。一方で、別冊宝島2333 教師が危ない(宝島社)には、学級崩壊の低年齢化の指摘があり、手がかかることは早くなっているようです。

「子どもたちが幼くなったことには、平均寿命との関係もあるのです。寿命が年々長くなっているから、成長段階も全体的にゆったり長くなっているので当然なわけです。」、どうして当然になるのでしょうか。寿命のことははるか先のことで、それが「成長段階も全体的にゆったり」と、時間的にはるかに前のことに影響する因果関係の説明がほしいところです。また、平均寿命ののびを、全体が引きのばされるイメージで理解しているのかもしれませんが、実際は乳児期における死亡率低下が、大きく寄与してのことです。わが国の平均寿命は、明治時代にくらべて倍になりましたが、全員が等しく倍にのびたようなイメージでは、適切ではありません。

「最近では、美魔女ブームなどいうのもあって、コンテストのファイナリストに60歳の女の人が出場したということが話題になりました。大人もゆったりと年を重ねています。それなのに、なぜか大人が幼くなるのはいい事とされて、子どもはけしからんというのは、ちょっと子どもたちが可哀想だなと思うのです」、どうでしょうか。いつの時代も、どこの文化でも、子どもがぐんぐんそだつことは、よころばしいものです。また、「なぜか大人が幼くなるのはいい事とされて」しまうことは、問題にしないようです。「若作りうつ」社会(講談社)のような指摘にはどう考えるのか、聞いてみたいところです。

「もちろんなかには早熟な子もいれば、のんびりな子もいます。でも、子ども時代に優秀だからといって、将来大成するとは限りませんし、ピークが子どものころにきても人生つまらないじゃないですか?」と主張します。ですが、出だしをよくすることは、その後の人生の成功に、明らかに影響します。BERD 16号の記事、就学前教育の投資効果から見た幼児教育の意義で、ペリー就学前計画の劇的な効果を見てください。また、早生まれをめぐるマタイ効果の存在も、よく知られています。スポーツに関しては、バレーボールガイドの早生まれは損かが、さまざまなスポーツについてまとめています。学業では、経済総合研究所の論文、小学校入学時の月齢が教育・所得に与える影響が、最終学歴に「大きな違い」「大きな差」が出ることを明らかにしました。もちろん、「分析の結果は、きわめてセンシティブなもの」ですので、注意して読まれてほしいと思います。また、「ピークが子どものころにきても人生つまらない」という感覚もわかりますが、出だしでのんびりだったことがずっとひびき、ピークらしいものを一度も見ずにすごす人生と、どちらがましかと問われたら、むずかしいところかもしれません。ふと、週刊現代 1月31日号(講談社)で向井万起男がボビー・フィッシャーを探して(S. ザイリアン監督)を論じる中で登場した、「トップにならないほうがイイのかもしれない」を思い出しました。

長女を橋から落とした母親と佐世保の不審者

きょう、西日本新聞のウェブサイトに、「育児で悩んでいた」と母供述 新潟・長女殺害容疑で逮捕という記事が出ました。

長女を橋の上から川に落として殺害し、子どもがいなくなったと主張して犯行をかくす手口は、秋田児童連続殺害事件にとても似ていますが、こちらはあっさりと逮捕され、容疑を認めました。この母親は、「「育児で悩んでいた」と供述している」そうです。それを受けて、「県警は、育児の悩みが殺害につながった可能性があるとみて、子育ての状況についても事情を聴く。」、あっさりストレートな推理です。秋田の事件は、容疑を認めだしてからもなお、主張が変遷しましたが、こちらはまっすぐ、ストレートにいきますでしょうか。そういえば、読む野球 9回勝負 No.5(主婦の友社)で立浪和義は、伊藤智仁が投げる球を、「だから、途中まで真っすぐに見えてしまう。変化球なのか、ストレートなのかが直前になるまでわからない。」と評していました。

一方で、同じく西日本新聞のウェブサイトにきょう出た記事、バスの中で女子高生に「ジーパンとスカートどっちはくの?」 佐世保市は、ストレートなのか、それとも複雑にひねったのか、よくわからない事件を報じています。バスの乗客が女子高生に、「「ジーパンとスカート、どっちはくの?」などと声をかける事件があった。」そうです。心理学概説 行動理解のための心理学(正田亘・水口礼治著、晃洋書房)には、「見かけはささやかな出来事であっても,心理学的に見れば案外重要なことであったり,またその逆に,素極く大騒ぎするような,一見大げさな出来事でも,心理学的な見方をすれば,取るに足らないことであったりすることがよくある」とありますが、これ1件のために記事を書くほどのニュースなのか、やや気になりました。佐世保女子高生殺害切断事件の記事で触れたように、特異な凶悪犯罪の続く土地ですので、敏感になっているのでしょうか。18日の事件を今ごろにというのは、敏感だという解釈とはなじみませんが、その不審人物の特徴を3文にわたって述べて、警戒や情報提供を呼びかけているようです。

それで思い出したのが、産経ニュースにその18日に出た記事、スーパーで乾麺145袋折る 50歳の無職男を逮捕 容疑は否認 長野県警です。3か月以上前に、おそらくはまっすぐの乾麺を折ったとされて、この日に逮捕されました。145袋もということは、ひたすらまっすぐに、曲げては折りつづけたのだと思います。「同署によると、スーパーから被害届が出され、防犯カメラの映像を分析するなどして捜査していた。」そうで、不審人物の特徴から、執念の捜査で、ようやくたどりついたのでしょう。ですが、容疑者は否認しているそうですし、これからどちらかが折れるか、そのまままっすぐ平行線上かはわかりません。

その容疑者からの連想ですが、篠ノ井塩崎の対岸を少し上ったところに、中澤製作所という金属加工業者があります。ですが、そのウェブサイトの地図には、ふしぎなところがあります。工場までの道路の関係からみると、屋代駅とされているところは、千曲駅だと考えるほうが、まだ自然でしょう。それでも、あるいは高速道路からのアクセスを考えて、地図の北のほうだけを圧縮したのだとしても、その駅からまっすぐ西へすすむ道路の1本南が川をわたる一方で、駅からの道路のほうは、川をわたるどころか、工場そばの六差路から国道と並行する道路と交差することもなく、手前で立ち消えてしまうようで、なぞが残ります。

子どもを苦手だと感じるおとなの心理学

きょう、マイナビウーマンに、本音はウザイ…あなたが「子ども嫌い」になってしまった理由3つという記事が出ました。元カウンセラーでいまは無料相談を受けつけている、しゅうまいという人を取材したものです。

その元カウンセラーが挙げた「子ども嫌いの人の心理状態」が列挙されています。ですが、この3件を横ならびであつかうのは、やや奇妙に思えます。1と3は、子どもの子どもらしいところを苦手に感じる直接の原因です。一方、2は、これまでの一般的な人生経験で、説明を見ても、子どもとのつながりはまったく書かれていないので、ここで出てくる理由が見えにくく感じます。単に、人間関係でうまくいかない人は、たいてい誰とでもうまくいかないので子どもともうまくいかない、という程度のことなのでしょうか。それとも、1で挙げた合理的な人を、自覚したりほかの人から見わけやすくしたりするための、具体的な指標を示したかったのでしょうか。

それでも、少なくとも自閉症的な傾向のある人が、次元のずれたこれらに広くあてはまりやすいように感じるところはあります。生き方としては合理的になれず不合理だという見方もあると思いますが、ルールや正しさを通そうとする、他者とあわせられない、通状況的一貫性のある人間関係の問題、うるさくさわがれるのが苦手、といったところです。「自分は許されなかったのに他人は許される」のも、そういう人が根にもちそうなテーマです。

1にある、「子どもは非合理的で、無条件で誰でも信用します。」というのは、おとなと比べてそういう傾向があるということでしたら、そのとおりです。ですが、もちろん無条件で「無条件で誰でも」とまではいきません。乳児のうちに人見知りが始まりますし、応用認知心理学では、子どもの目撃証言での面接者の要因もよく知られています。irorioに1か月ほど前に出た、男のみならず子どもまで!!子どもは美人の言うことを信用するとの米調査結果という論文紹介記事もありました。

さて、冒頭の段落にもどりますが、女性は子どもを好きかどうかは、とても争いになりやすい論点です。また、みんなママのせい? 子育てが苦しくなったら読む本(大日向雅美著、静山社)の実例7のような、自分の子どもは偏愛というパターンも多いですし、人によるというのが無難なところです。連合が6月に結果を発表した、子ども・子育てに関する調査では、子どもがいる人/子どもが欲しい人の、子どもを持った理由/子どもが欲しい理由では、「子どもが好き」は約4割で、男性よりも女性でやや高めですが、子どもを欲しくない人の子どもを欲しくない理由では、「子どもが苦手」は女性のほうが高めになっています。

もちろん、動機や欲求に関してたずねられて出てくる回答の信用性は、心理学者ならある程度警戒するところではあります。また、1か月ほど前にSankei Bizに出た、アテにならない消費者心理 死ぬほど調査した自信作…なぜ売れないという記事もありましたし、日本マクドナルドの原田泳幸が言ったという、「アンケートをとると必ずヘルシーなラップサンドやサラダがほしいと要望があって商品化したけども売れたためしがない。」というお話も知られているでしょう。医療にたかるな(村上智彦著、新潮社)での、市民のウォンツにふり回されてはいけないという、破綻自治体からの提言もあります。子育て関係でも同じようなことはありそうで、黒川滋という政治家のブログの、子どもが嫌いな社会人たちという記事は、漫然と「お金がかかるから」が選ばれやすく、子どもがきらいだという思いを表面化させない少子化調査を批判しています。

そのあたりに関して触れた、なぜ「他人の眼」が気になるのか(依田明著、PHP研究所)を紹介しておきましょう。四半世紀も前、「母性神話」もあたりまえだった時代に書かれた本が、Kindle版で復刊しました。そこでは、子どもが好きではないと思っても、それは世の中のたてまえに反するので、ひとりっ子の母親は別の理由を口に出すのだと指摘されています。子どもが0ではなく1のところを論じているのが、まだ昭和の時代らしいところです。そして、「生もうと思えば何人でも生めるのに、ひとりしか生まない母親は子どもや育児が嫌いなのである。子どもよりも自分が大切なのである。母親であるよりも、女性としてありたいという気持ちが強いのである。」と結論します。最後は、「こういう女性は今後増加していくものと思われる。」と書いて締めています。著者のこの予測は当たったでしょうか、興味のある方は、いろいろな角度から調べてみてください。

ページ移動