生駒 忍

記事一覧

注意欠如・多動性障害の無料講座と〆切延長

きょう、丹波新聞のウェブサイトに、発達障害学ぶ 受講生を募る 初回は11月9日という記事が出ました。

主催団体名は、生涯学習応援隊 so-so.39ですので、少し書きたりません。点のあつかいがうまくできないのでしょうか。「注意欠如、 多動性障害に関わる保護者や教師が対象。 」とあるのも、おそらくは精神神経学用語集 改訂6版(日本精神神経学会・精神科用語検討委員会編、新興医学出版社)で変更された訳語、注意欠如・多動性障害のことだと思います。DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引(医学書院)では、「注意欠如・多動症」との併記になっています。

「初回は11月3日、 2回目は11月30日、 3回目は1月10日、 締め切り。」とあります。すると、初回の〆切は、当初発表から3日の延長となったようです。

10代の若年性認知症と沖縄での二転三転

きょう、タウンニュース泉区版に、精神科医との懇談会 テーマは認知症という記事が出ました。

「いつ誰に起こってもおかしくない「認知症」について考える懇談会が10月15日(水)、泉区役所1階の福祉保健センターで開かれる。」と書き出されます。若年性認知症というものもありますが、あの「若年性」は高機能自閉症の「高機能」と同じで、一般的な認知症の好発年齢に比べれば若いという意味なので、若者に起こることはないと誤解して、「いつ誰に起こってもおかしくない」とは大げさだと思った人もいるでしょう。厚生労働省による、若年性認知症の実態等に関する調査結果の概要及び厚生労働省の若年性認知症対策についてを見てください。この調査の年齢区分で最も若い18・19歳でも、人口10万人あたりの有病率は0.8人、ごく低い値ですが、ゼロではありません。女性ならありえないとも言いきれません。たとえば、厚労省の調査対象外であった奈良県による、奈良県若年性認知症に関する実態調査事業 報告書(概要版)には、これは疑い例も含むのではっきりはいえませんが、あの小さな県で、有効回収率が6割台でも、20歳未満の区分に、男女ともいることが報告されています。ですが、認知症に限ったことではありませんが、もっと本質を見るべきで、年齢だけ取りだすことに意味はうすいという批判もあるかもしれません。そういえば、ピアヘルパーハンドブック 友達をヘルプするカウンセリング(日本教育カウンセラー協会編、図書文化社)には、「「父が上京してくるというのですが,私は父に会いたくないのです」というヘルピーに「お父さんの年齢はいくつですか」という質問はつまみ食いです。」とありました。

「会場では「認知症についてもっと知りたい」「専門家に聞いてみたいことがある」といった悩みに応じる。」、これはありがたいと思います。もっと知りたいという思いにこたえるのはもちろんですが、専門家がその場で答えることを明示したイベントは、意外に少ないものです。特に保健、福祉、心理関係の講演会では、質疑応答の時間を使って、その講演の主旨や主張との対応が強くはない、自分や家族の困りごとを語りだす方をときどき見かけますが、ぜひこういう機会を使ってほしいと思います。それとも、あの手の方は、相談料金のかからないやり方で専門家に反応をもらうことではなく、たくさんの「仲間」が集まって、耳をかたむけてくれると思える中で語ることが目あてなのでしょうか。

もちろん、プロやセミプロ、パラプロフェッショナルであっても、より上の専門家にたずねたいという思いは、なくなることはありません。典型的な場として、スーパービジョンがあります。また、講演会にも、意識してそういう質疑の時間をとるものがあります。たとえば、神奈川学習障害教育研究協会による第2回めんそ~れ!子どものこころセミナーinおきなわは、プログラムの最後に、「質疑応答「30分1本勝負!今年は時間を守ってしっかり答えます!」」をおいています。なお、このセミナーは、当初は北中城村中央公民館、続いて恩納村ふれあい体験学習センター、そしてきょう、いったんその取りけしのみが告知されて、すぐに読谷村社会福祉協議会総合福祉センターへの変更が発表される、落ちつかないようすを見せてきました。ですが、おそらくこれで確定で、沖縄商工会議所ホールの出番もないと、私はみていますが、どうでしょうか。

芦別での「まる元」教室と「性器教育」批判

きょう、どうしんウェブに、高齢者に運動を科学的に指導 芦別で10月から北翔大など教室という記事が出ました。

タイトルもそうですし、本文には「NPO法人ソーシャルビジネス推進センター(札幌)と北翔大(江別)、コープさっぽろが自治体と連携して展開する高齢者向け運動教室が、10月から芦別市でも始まる。」とありますので、紹介された講座は、芦別では再来月に始まるという位置づけです。ですが、1か月前に北海道リアルEconomyに出た記事、NPO「ソーシャルビジネス推進センター」相内俊一理事長がコープさっぽろと連携、「高齢者運動教室」を過疎自治体で展開には、「現在、「まる元」を実施している自治体は赤平市のほか余市町、沼田町、芦別市などがあり、自治体が絡まない教室として倶知安町でも実施されている。」とあり、すでに行われていることになっています。今月はじめに書いた、追手門学院大の新コースの記事を思い出しました。

「同大の教授や学生が講師となり」行うプログラムです。北翔大のウェブサイトの研究室探訪 生涯スポーツ学部 スポーツ教育学科を見ると、「具体的には、現在、本学の地域貢献事業で取り組んでいる「地域まるごと元気アッププログラム」で、赤平市や余市町での体力測定会における運営を中心的なゼミとして活動しています。」としているのは准教授で、すると測定のみの分担で、指導には行かないのでしょう。

「みんなと一緒なので楽しくできました。」という感想があり、よかったと思います。子どもの心を伸ばすのはお母さん 「思いやり」と「意欲」を育む家庭教育のすすめ(山路鎮子著、PHP研究所)は、「性器教育」批判の中で、「とんでもないわ、五十年後だなんて。明日のことなんて分からないもの。私達、いまが楽しければいいの」という新婚女性の声を取りあげましたが、いくつになっても、楽しいことはよいことです。

東大の失業者用プログラムと飯山駅での明暗

きょう、朝日新聞デジタルに、失業者の心のケア、再出発の手がかりに 東大で講座という記事が出ました。

東大本郷キャンパスでのイベントを紹介する短い記事で、それでも適切な情報がひととおりそろい、トラック魂 Vol.10(交通タイムス社)で、上田恵という人のキャリイに、「ちっちゃくても一人前」とあったのを思い出しました。ですが、「同大大学院の高橋美保准教授(臨床心理学コース)がプログラムを開発。」とあって、講座とはいっても、講話や座学のイメージのものではないようです。主催グループ側による募集情報ページは、失業者のためのメンタルヘルスケアプログラム 参加者募集というタイトルで、「グループ形式による2日間の体験型プログラム」が隅つきかっこでくくられて、「講座」という表現は見あたりません。

朝日の記事は、「無料だが、アンケートなど調査に協力する必要がある。」とあって、プログラムについてのデータ収集目的、あるいはデータ収集も目的であることを示唆します。一般公開のふつうの講演と異なり、参加対象者の条件の線引きがはっきりしているのも、そのためでしょう。まだ行われていないものに言うのも変ですが、おそらく有効なプログラムだと思いますので、興味をもった失業者の中で、この線引きのどちらに入るかで明暗がわかれることもあるかもしれません。ロスジェネ心理学(熊代亨著、花伝社)が、相手からみて使えない個性なら、あってもしかたない個性だと指摘したのを思い出しました。これは、人間に限ったことではないでしょう。同じく朝日新聞デジタルにおととい出た記事、長野)飯山駅ホームの鐘楼 新たな願いこめ新駅に移築によれば、北陸新幹線の開業で、90年以上前につくられた飯山駅の「寺社のようなたたずまいが特徴」の駅舎は取りこわされて道路にされ、一方でそこにある鐘は、大みそかの「例年400人を超える人気」もあってでしょうか、新駅に移ってまた活躍するそうです。ちなみに、この記事を書いた山田雄介という記者は、記事が出て半日後に、新宿3丁目の路上でしつこい勧誘を行い、逮捕されました。

機能不全家族と「理想の家族」との関係

きょう、タウンニュース大和版に、「愛情の落とし穴」とは つきみ野学習センターで講座という記事が出ました。全5回の講座の紹介です。

この講座の主催者が、よくわかりません。記事には見あたらず、連絡先は会場のつきみ野学習センターです。つきみ野学習センターだより 12号では、1面の中央でとても目だつあつかいですが、つきみ野学習センターのサイトにある「学習センター主催・共催・支援事業のお知らせ」にはないので、センターは主催どころか支援もなしで、場所貸しと連絡窓口の代行だけなのかもしれません。大和市学習情報の講座情報システムで、このイベントの情報がとれるはずと思ってあたってみましたが、少なくとも私の環境からは、このイベントに限らず、イベントは何ひとつ見つかりませんでした。

講座全体のタイトルは「シンデレラ・ママ〜理想の家族」で、以前に男性の性被害統計の記事でも触れた、入力しにくい波ダッシュがありますが、とても明るく親しみやすいタイトルです。ですが、記事によると「テーマは「機能不全家族」。」なのだそうで、明らかに暗い方向です。まったく逆向きに見えても、一方はもう一方の裏がえしととらえて、結局同じと考えるべきでしょうか。円卓(西加奈子作、文藝春秋)で、鼠人間が「Sは、逆さにしてもSなの、知ってはるのん。」と言うのを思い出しました。