生駒 忍

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小さいおじさんとなりきり厨被害の臨床心理学

きょう、シネマトゥデイに、釈由美子「小さいおじさん」話で脳のMRI検査の予約を取られた過去を明かす!という記事が出ました。記事の最後でだけは「妖精おじさ」と書かれましたが、妖精おじさん ディレクターズカット版(下山天監督)のDVD発売記念イベントを報じたものです。

「小さいおじさん」のお話は、私の印象では、もう話題としては古くなってしまったように感じますが、あのようなDVDですので、ずいぶん語ったようです。それでも、興味深いのは、「みなさんが見たおじさんと、わたしが見ているのは同じ感じ」だというところです。一見すると荒唐無稽な夢の世界を読みとき、人々に共通するモチーフを見いだすユングの思想ではありませんが、国内で同時多発的に報告されたこのおじさんも、人々を共時的にむすぶ何かを示唆するあらわれなのでしょうか。ですが、これと、いわゆるなりきり厨のロックオン被害については、都市伝説的で社会心理学よりの言説ではあっても、臨床心理学や精神医学の手のとどくところには、なかなか報告がありません。それでも、おじさんのほうは、たとえば臨床心理学 13巻4号(金剛出版)に、おやじギャグのようなことを言う小ぎたないおじさんに、お風呂で会う人の例があります。

「「わたしのこういう発言を怒ったり、馬鹿にしたり、白い目でみない人がいいですね」と交際相手となる男性の条件を上げた釈。」とあります。発言そのものは、条件を挙げたかたちですが、MRI検査をすすめるかどうかは別としても、そういう男性が世の中にどのくらいいるかを考えると、求める条件、ハードルを上げたと、これを書いた記者は理解したのだと思います。皆さんは、あるいは皆さんのまわりの男性では、この条件をみたせますでしょうか。

予定どおりだった所沢産野菜ダイオキシン事件

きょう、J-CASTに、「所沢の方には迷惑かけた(笑)」 久米宏が「ダイオキシン騒動」振り返るという記事が出ました。おとといのTBSラジオでの、爆笑問題とのやり取りを紹介したものです。

昨年は、ギャラクシー賞50周年記念賞を取る一方で、2020年東京五輪決定を受けいれられず、「反対の最後のひとりの日本人になっても、反対は続けていくつもり」発言で物議をかもした久米宏の、またも危うげな発言です。今回は、失言についての話題であるところが、メタ的でおもしろいと思った人も、反省が感じられないと思った人もいるでしょう。

「僕は思いつきの失言はしないんですよ。失言は予定通りです」、つまりうっかりの「失」言であることを否定します。そして、「失言をするシチュエーションを僕なんかの場合は、ニュースステーションの場合は自分で演出」「思わず言ったようにして、ずっと用意してたやつ(失言)をかますって感じ」などと明かし、それは視聴者におもしろがらせるためだと言います。報道としては蛇足ですが、テレビショーとしてのおもしろさを選んだのでしょう。そういえば、山陽新聞WebNewsにきょう出た記事、乾杯推進条例案を発議へ 岡山県議会委は、記事としてだいたいまとまっていますが、最後の文だけ蛇足で、うまくまとまりません。県議会環境文化保健福祉委員会「も」と書かれたら、保健福祉のほうからも飲酒をすすめるうごきがあるのかと思ってしまいます。週刊朝日 2月28日号(朝日新聞出版)に載った「恋愛の仕方がわからない「確信犯非婚者」の存在」のような、文と文、段落と段落の間が全体的にゆるい文章ではないので、ペースのくずれが目だちます。

あぶないのは、その後の「所沢」発言です。あの事件は、テレビ朝日側は茶葉だったとは知らないままに、番組で「葉っぱもの」「野菜」発言をかぶせてしまって起きた被害だというのが、公式見解のはずです。ですが、「失言は予定通り」に所沢がふくまれるのなら、久米はどこかで先に茶葉だと知りながら、あえて野菜へと誘導した可能性が出てきます。和解では、テレビ朝日側に作為はなかったとされましたので、それをくつがえす暴露になります。アサ芸プラスの記事、久米宏「講演では語られなかったタブーな黒歴史」にある、不倫がらみの自殺企図事件など、まだ語られない問題も多い中で、ここは墓場までかかえていくべきだったのに、と当時の関係者は困惑しているかもしれません。

また、予定どおりの失言だったかどうかにかかわらず、笑い話として公共の電波に乗せたのも、危うげな行いです。自殺企図事件とは異なり、本人の中でもう笑い話となり、人前で話せるような程度に落ちつくのは、それ自体はかまいません。ですが、すでに和解したとはいっても、公共の電波で笑い話として持ちだすのは、反発もよぶでしょう。先日復刊したいじわるばあさん No.4(長谷川町子作、朝日新聞出版)の51ページ、雪玉のお話のような、被害者と加害者との認識のずれがあらわになりそうです。あるいは、予定どおりに地雷をふむ芸なのでしたら、ここはせめて、爆笑問題に思いきりつっこみをかぶせてもらってカバーするくらいの戦術がほしかったところです。

みのもんたの4月からの新番組と悪意の画像

きょう、日刊サイゾーに、みのもんた“温情”文化放送でラジオ新番組も、拭えない「スポンサー不安」問題という記事が出ました。文化放送の「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」が来月いっぱいで終了することを受けたものです。

使われた写真画像が、いかにも過去の人と感じさせる印象の悪いもので、悪意を感じた人もいるでしょう。ですが、同じ日刊サイゾーに昨年末に出た記事、みのもんた非難から一転、歓迎ムードへ!?『珍プレー好プレー』伝説のナレーション8年ぶり復活かは、明るい方向性ですが、そこでも同じ画像でしたので、特に考えはなく、あるものを使っただけのようにも思います。あるいは、せっかくの明るい記事にあの画像のほうが、悪意を感じるかもしれません。

この番組は終わっても、文化放送は日曜日に、みのに別の番組を用意するようです。新番組が反攻のきっかけとなるか、それとも、「音楽派Together」や「KATO&KENテレビバスターズ」のように、結果的には前の人気番組から大物を軟着陸させるスロープ機能で終わるのか、どうなるでしょうか。記事で関係者が、「ただし、リスナーからの厳しい目線は変わっていない。」と指摘したところが、不安要因です。みの本人は、あの番組の昨年12月14日の放送で、この仕事ではマイクの向こうにいる人の顔が見えるようになったと言っていましたが、きびしい目線は、見えていないのでしょうか。もう思いきって、大橋巨泉のようになってはいかがでしょうか。そういえば、「おもいッきりイイ!!テレビ」でニュース担当として共演した丸岡いずみは、週刊東洋経済 1月18日号(東洋経済新報社)のうつ特集に登場して、「ハイスピードで走ることをやめるのも勇気」と言っています。

佐村河内守の指示書と美談をほしがる人々

きょう、デイリースポーツonlineに、キダ氏 偽ベートーベンをメッタ斬りという記事が出ました。キダ・タローが地方局の番組で、佐村河内守をこき下ろした発言を記事化したものです。

しゃべるキダ・タローは、私は20年ほど前、「クイズ!タモリの音楽は世界だ」で初めて見て、タモリとのテンションのずれが奇妙だったおぼえがありますが、今もかくしゃくとされているようで何よりです。浪速の「モーツァルト」が偽「ベートーヴェン」をあつかう、まるでTOYOTA ReBorn「信長と秀吉」のような豪華な組みあわせですが、こちらのモーツァルトは怒り心頭です。さっそく「昔やったら打ち首、獄門」と、和風に斬りつけます。

「こんなん見破らなアカン!世の中、甘すぎる」も、ただの後だしとみる人もいると思いますが、正論ではあります。東京ブレイキングニュースにきょう出た記事、メディアが「障害者の美談に弱い」は本当か? ある地方紙記者の奇妙な体験は、「逆行」は「逆境」のまちがいだと思いますが、その「芸人の弟子」「足に障害」「日本一周」のストーリーに多くの新聞記者が釣られたお話のように、マスコミはこの程度の、裏をとればすぐぼろが出るものを、うたがわずに流してしまうのです。そして、そういう物語をほしがって恥じないお客の存在もあります。承認をめぐる病(斎藤環著、日本評論社)は、iPS細胞の虚偽手術騒動などを例に、うそをほしがる人々の存在を指摘します。Facebookでたびたび起こる、実話のつもりでわかりやすい美談を転載してアピールした人が、疑問点を突かれるとうそでもいい話だからいいのだと抵抗する展開も、それに近いでしょう。

佐村河内が発注時に示した指示書も、完全にこけにします。それでも、「こんなもん幼稚園児が書いた競馬の予想以下。ネコでも書ける。」、この表現は並ではありません。こんな短い文句にも、ふつうの人が罵倒するときにはまず思いつかない、ほかにないユニークさがあります。それなのに、エスプリや教養に満ちた高尚な表現ではなく、庶民にとてもわかりやすいのです。ひたすらにお茶の間へ向けた作品を書き続けたこの人ならではのセンスが、罵倒にまで光るのでした。なお、nikkansports.comにきょう出た記事、偽ベートーベン妻の母「いつかバレる…」によれば、その指示書までもが、佐村河内がほかの人に書かせたものである可能性があります。

怒りながらも、何も考えずにしゃべったわけではなさそうです。後のほうに、「番組のコメンテーター陣から、日本には本当にいい曲を評価する地盤がないのかと問われると「日本だけやなく、だいたいよそもそうやけど、佐村河内のせいでまた後戻りした」と音楽家として、怒りが収まらない様子だった。」とあります。日本で悪いことがあったときに、海外ではどうかが不明なまま、日本の悪いところ、日本人の悪いところと言いたがる人をときどき見かけますが、そこには乗りません。コメンテーター陣に「日本には」と誘導されても、「日本だけやなく、だいたいよそもそう」ときちんと打ち消して、怒るべきところとはきちんと区別したことに、好感を持ちました。適菜収オフィシャルブログの記事、綾戸智絵とリッチー・ブラックモアに学ぶ障害ビジネスは、2年以上前に今回の騒動にもかさなる議論を展開したものですが、「日本人は」とも言われながらも、苦難の物語で音楽が売れるのは国内外を問わないことがうかがえます。

仕事を選ばない剛力と宮崎駿の「娼婦」発言

きょう、メンズサイゾーに、剛力彩芽、『プリキュア』声優出演で「ゴリ押し」の声が復活!という記事が出ました。本人も芸能ライターだと思われる津本ひろとしという人が、芸能ライターの論評をまじえて書いたものです。

私はまったくついていけていないのですが、プリキュアの人気はとても広いようです。「詐欺撃退」 オタク母の機転「プリキュア37人言える?」のような使いみちがあるほどですし、この記事にも、「いわゆる“大きなお友達”も多いのが現実」とあります。もちろん、本来のターゲット層も、しっかりつかんでいるようです。オレンジページ 2月2日号(オレンジページ)の「おかあさんの扉」では、プリキュアの放送は見ずに、別ルートからプリキュア好きになった女児がえがかれました。

その映画の新作の声優に、剛力が加わるそうです。どんなキャラクターにどんな声をあてるのがよいかは、関心の高い人の多いテーマで、最近ではテレビアニメ版の「サザエさん」の波平の声が、次は誰がいいのか話題になりました。私などは、最初のイメージとずれてもそのうち慣れるからと思ってしまうので、発言小町の声優目指して早7年、異常に人に必要とされたい彼氏に出てくる、アスペルガー症候群の女性の彼氏の「アニメを見ないいもあんには分からないよ。」のようなかたちで、無理解をなじられそうです。また、またかという声もあると思いますが、この映画に本職の声優ではないタレントを使うことには、落胆も、営業上しかたがないとの理解も出るでしょう。あるいは、声優ではないことを、むしろ歓迎する人もいるかもしれません。宮崎駿がプロの声優をきらったとされるお話は、あまりにも有名です。アンサイクロペディアの声優では、「アイドル声優は、声の娼婦であり、風俗嬢である」と言ったことにされました。ですが、オリジナルの発言内容がはっきりしないままで広まったお話でもあります。国家・宗教・日本人(司馬遼太郎・井上ひさし著、講談社)には、司馬遼太郎が宮崎から直接聞いたこととして、「若い声優の声がだめ」「募集してテストしてみたら、ほとんどみんな娼婦の声」とあります。

今回の場合は、ここ数年とにかく露出が多い一方で、いわゆるアンチも多い剛力なのが、さらに議論をよぶところでしょう。私は、未来日記-ANOTHER:WORLD-の第1話で見かけて、うまくはないのにこれから当たりそうな感じを受けてから、多少の注意を向けてきましたが、いまだにつかみどころが見えないのが引っかかります。「友達より大事な人」PVは、強いて言えばあざやかな絵で明るい群舞が続くボリウッド映画に近いのですが、頭をひねってユニークに作る意図はそうでもないのに、日本中ほかにどこにもない、時代のななめ上を飛ぶ作品になって、まるで松本人志監督作品とは正反対でした。ですが、ドラマ女優のほうは、ヒットしないのはこの人だけの責任ではないと思いますが、この人でなければ、この人ならではとはなかなかならないのが、対照的です。一時の上戸彩に近いでしょうか。それはそれで、使いやすいのかもしれません。かつての上野樹里、最近では能年玲奈のように、当たり役が後をしばることもあります。特定の役ではなく、色が固まれば、また使いやすくなるでしょう。いつものキャラの、観月ありさの安定路線です。それで仕事の幅を広げると、何を演じてもキムタクになってしまう木村拓哉か、何を演じてもフカキョンにしてしまう深田恭子か、どちらに行くかが問題です。

剛力がいわゆるアンチも多くかかえるのは、仕事を選ばない姿勢にも一因があるのでしょう。オスカーの方針だといえばそれまでですが、本人の前向きなところも、先ほどのPVがぴったりくるほどです。FLASH 12月24日号(光文社)によれば、仕事が好きだという思いをずっとベースにしているそうですし、niko and... 2013 Autumn & Winter(宝島社)では、みずから「アクティブな自分」と表現しました。図解 どっちが得?「おとなの雑学」(インタービジョン21編、三笠書房)によれば、かつてコシヒカリと人気を分けあったササニシキは、その人気が気候の合わない土地での栽培を増やし、味が落ちて人気も落ちる、アタリショックのようなくずれ方をしたそうです。そうならないために、もう少し仕事を選んでもよいかもしれません。