生駒 忍

記事一覧

氷見市立博物館による地域回想法と回想法

きょう、北日本新聞社のサイトであるwebunに、「回想法」で脳生き生き 氷見市立博物館、普及へ実行委という記事が出ました。なお、webunにまだ登録していない場合には、リンク先の記事を読むことができないようになっていますので、ご理解ください。

これは、氷見市立博物館が、地域回想法の事業を拡大するというニュースです。地域回想法は、心理学からの研究がなかなかなく、用語としては聞いたことのない心理学者も多いと思いますが、それほど斬新、特殊な技法というわけではありません。ですが、それがどんなものなのかは、定義があいまいだったり、まちまちだったりして、混乱しやすくなっています。もちろん、地域回想法ハンドブック 地域で実践する介護予防プログラム(NPOシルバー総合研究所編、河出書房新社)をあたれば確実なのですが、中部地方を中心に作られつつある地域回想法の拠点それぞれが、それぞれな表現をとっているようで、困ってしまいます。

特に気になるのが、地域回想法とふつうの回想法とはどのように違うのかが、なぜかぼかされやすく、言うまでもなく同じものであるようにもされてしまいがちなところです。今回の記事でも、冒頭で「昔の生活用具を見たり触れたりすることで高齢者の脳を活性化させる「地域回想法」」という定義がある一方で、「回想法は1960年代に米国で提唱された。お年寄りになじみ深い生活用具や民具などを用いて、記憶を呼び起こしたり過去の体験を語り合ったりしてもらうことで脳の活性化につなげるのが狙い。」とあって、区別が見えにくいです。また、東近江市能登川博物館の博物館だより平成25年9月号には、「東近江市では「地域回想法」に取り組んでいます。「回想法」とは、懐かしい民具や写真を見たり触ったりすることで、遠い記憶を呼び起こし、当時の思い出話をしたり、民具を使って手足を動かすことで、運動機能を高めたり、脳の働きを活発にし、認知症予防に効果があるといわれています。」とあって、地域回想法の話題に回想法の説明をつけるやり方をとっています。地域回想法の発信源であるNPOシルバー総合研究所のサイトでは、回想法研究研修普及事業という事業名を与え、地域回想法という用語は、最後に「地域回想法講師派遣をご希望の方はこちら」とあるところ以外では使っていません。氷見に戻ると、今回の記事の最後に紹介がある、氷見市地域回想法基礎研修のページも、回想法の説明のように見せて、結局は地域回想法になっているような書き方です。

北日本新聞社が2年近く前に出した記事に、これも未登録の場合は見られないのですが、昔の民具に触れ高齢者笑顔戻る 氷見市立博物館が「地域回想法」というものがあります。ここでの説明が、今回とはやや異なるもので、「昔の生活用具や農具などの民俗資料に見たり触れたりすることで記憶を呼び起こしてもらう「地域回想法」」と書いて、脳の活性化ではなく記憶想起になっていて、「回想法は1960年代に米国で提唱された高齢者の脳を活性化させる援助方法。北名古屋市歴史民俗資料館が2002年に介護、医療関係者との協働で、身近な地域の社会資源を活用し高齢者の介護予防を支援する「地域回想法」という概念を設定した。」ともあります。一方で、2年前のその記事に「普段しゃべらない利用者がアイロンを見てはっきり名前を答えた」「記憶を呼び起こすことで認知症の人の目がいきいきと輝き、脳の活性化を確信した」とある内容は、きょうの「普段は話をしない利用者が、アイロンを見てはっきり名前を答えた」「認知症の人の目が輝き、脳の活性化を確信した」とほぼ同じです。

あまちゃん後ストレス障害と最終回の前と後

きょう、NEWSポストセブンに、あまちゃん後ストレス障害「PASD」発生に対する精神科医見解という記事が出ました。黒い「あまちゃん」まで登場する週刊ポスト 9月20日・27日号の、61ページのもののようです。

私は、用語に少し引っかかってしまいました。「耳慣れない「PASD」の4文字は、「あまちゃん後ストレス障害」(Post Ama-Chan Stress Disorder)のこと」とのことですが、PTSDをもじるのなら、もう少し原語に寄りそってもよかったのでは、というのが、あまちゃんよりもPTSDのほうにより関心がある私の印象です。まず、ハイフンですが、これはないほうがよいと思います。PTSDについては、postとtraumaticとの間にハイフンを入れて、postがどこにかかっているかをわかりやすくすることも見られます。アメリカ国立精神衛生研究所も、Post-Traumatic Stress Disorder (PTSD)と表記しています。ですが、現状の書き方では、これとうまくなじみません。Wikipediaでの記事名もAmachanで、ハイフンは入りません。あるいは、つづりにこだわらないのでしたら、より英語の形容詞らしく、"Amatian"のように書く手もありそうです。

記事本体は、あちこちで話題にされているテレビ番組に乗じたジョーク、軽い悪のりというくらいにとるものでしょうか。それとも、不穏な予測を含んでいるとみて、注意するべき話題なのでしょうか。野猿というバラエティ番組の企画ユニットの「撤収」が原因だとされることが多い、Mさん・Sさん飛び降り自殺事件を思いだしました。超訳「カタカナ語」事典(造事務所編、PHP研究所)ではギラン・バレー症候群などといっしょに「そのほかの症候群」に入れられているサザエさん症候群では、毎週終わるたびにつらくてもまた1週間もつのですし、記事の後のほうで笑って否定されている程度だといいのですが、どうでしょうか。

あるいは、うがった見方をすれば、いわゆるステマになるのかもしれませんが、次作への布石とも読めそうです。もちろん、ここでいう次作は、始まってもいないのにもう週刊文春 9月19日号でけなされている、次の朝ドラ作品ではなく、次の「あまちゃん」です。宮藤官九郎の考えは、週刊文春 8月15日・22日号にあるとおりのはずですが、また見たい、もうアキに会えないのはつらい、という思いがこんなにあるので、ご期待にこたえましょう、という流れに持っていく、その前ふりということです。皆さんがどうしてもというのでやるんです、前からやる気でいたのではありませんから、というかたちにするのがポイントです。ここであえて不吉なことを書くと、NHKつながりでは、このパターンで請われて就任するはずが交際費がらみで転んだ、認知系の研究者にはつらくもはずかしくもある事件、安西祐一郎NHK会長人事騒動を、ふと思いだしました。

伏線は着実に回収されているそうなので、そのままストーリーが続く続編は作りにくいという指摘もあります。そこで考えられるのは、映画化です。新しく撮りなおすのではなく、いまあるものから15分きざみの制約をはずして、ずばっと再構成すれば早く、安く上がります。ですが、すみずみの小ねたを刈りこまないといけませんので、そこが好きなファンには反発されるでしょう。また、また不吉なことを書くと、NHKでドラマを再構成して映画化といえば、劇場版テンペスト3Dの大失敗を忘れるわけにはいきません。見に行ったら観客の半分は私だったという、忘れられない体験をできた作品です。

とりあえずは、来週にせまった最終回を待つことになるでしょう。太巻の思いつきのように、急展開があるかもしれません。この記事で取りあげた、終わった後をおそれている人々は、最後まで目がはなせないものと思います。一方で、もう終わったことになっている人もいるようです。この記事の最後には、「PASDのこの苦しみ」とありますが、もうpostになって現に苦しんでいるかのような書き方です。そして、この筆者だけではありません。J-CASTの、「あまちゃん」全編放送終了していた? 能年玲奈ブログに謎の大量コメントをご覧ください。

上海で心理カウンセラー育成が動きだします

きょう、人民網日本語版に、心理カウンセラー育成、上海で本格始動という記事が出ました。「国家人力資源社会保障部」が証明書を出すということは、国家資格とみてよいでしょうか。一方こちらでは、国のつくりがちがうからと言えばそれまでかもしれませんが、この半世紀、国家資格の実現は近づいては消しとんでの蜃気楼です。

ですが、こちらでイメージするようなものと同じなのかどうかは、疑わしいかもしれません。育成訓練の主催者は、「これからの心理カウンセラーとクライアントとの関係は、『医師と患者との関係』と同じような関係となるだろう。」と言っているそうです。むしろ、心理学が一般に考えるカウンセラーの立ち位置については、「医患关系」ではないことが意識されるように思います。

育成訓練機関のトップは、「心理カウンセラーは、決して単なる『話し相手』ではない。」と言っているそうです。ここは、うなずけるところでしょう。もちろん、プロカウンセラーの聞く技術(東山紘久著、創元社)にもあるように、向き合って耳をかたむけることはとても重要です。ただの話し相手、「陪聊」というわけではないということです。ですが、現実的には、カウンセラーには聞き役を求めたい人もいますので、その期待にどう対応するかは、なかなかむずかしいところです。小町で少し前に盛りあがった、うつ病の私、家族から家事をしないと怒られますのトピ主は、そういうねらいで毎日のカウンセリングを求めたり、友だちにしようとしたりして、もちろん断られたそうですが、たしなめのコメントを浴びています。

女性は男性に「社会ステータス」を求めます

きょう、マイナビウーマンに、異性に最も求めるもの 男「美しい容姿」、女「社会ステータス」―研究結果という記事が出ました。調べるまでもなさそうな、ありきたりなお話に見えますが、それをきちんと検証して、JPSPに採択となった研究の紹介です。

最後に「※当記事は、ハイブリッド翻訳のワールドジャンパー(http://www.worldjumper.com)の協力により執筆されました。」とある、マイナビウーマンでは日常になっている、海外のニュースサイトの記事を抄訳して少しいじって、オリジナル調にしたものです。今回の内容の出所は、「参考」として挙げてあるURLなのですが、#より後のアンカー部分も、筆者のブラウザから貼ったようです。ブードゥープログラミングのように、いらないことを理解できないまま、残してしまったのでしょう。

出所ページでは、JPSP今月号掲載のような書き方をしていますが、載っていません。そのうち載ることは確実ですが、まだOnline First Publicationどまりです。

「シンガポールマネージメント大学心理学部のNorman Li准教授とアリゾナ州立大学心理学博士課程のOliver Sng氏」が、この研究をしたように書かれています。論文は8名の連名なのですが、実験をしたのがこの2名ということなのでしょうか。また、筆頭著者の所属ですが、SMUの6学部には、「心理学部」と訳せるものは見あたりません。出所のページの、"associate professor of psychology at Singapore Management University"からの誤訳でしょう。

その筆頭著者は、「女性は少なくとも平均的な社会ステータスを持った男性、男性は少なくとも平均的な容姿の女性を求めるのです」と言ったとのことです。ですが、出所ページでこれに対応するのは、"women want men who are at least average in social status while men want women who are at least moderately physically attractive"という発言です。女性が求めるのは「平均的」で合っているのですが、男性が求めるほうは、平均ということばとは、少しだけイメージがずれるかもしれません。そういえば、小町で少し前に盛りあがった、「普通」を求めるって高望みなの?というトピが、男性が言うふつうは平均でも、女性が言うふつうは論理積、まさに普通のダンナがなぜ見つからない?(西口敦著、文藝春秋)の世界だという展開となっていました。

タイトルには「社会ステータス」という表現が使われ、本文ではそれと「社会的ステータス」との、両方があります。日本語としては、social statusは「社会的ステータス」と訳すほうが、自然だと思います。それでも、Lightning 2013年10月号(枻出版社)の「喫煙室の密談」コーナーに出た、昭島と昭和島ほどの違いではないので、「的」を入れなくてもそれほどは困りません。タイトルでは、一文字でも短く書こうとしたのかもしれません。このマイナビウーマンに、きのう出た記事には、彼とのお泊りデートために、女性が密かに行う身だしなみとは?というものがありました。

福島復興心理・教育臨床センターの「交流会」

きょう、福島放送のウェブサイトに、復興心理・教育臨床センターで交流会という記事が出ました。タイトルでは、地元向けの報道機関だからでしょうか、センター名のはじめの2文字が省略されていて、「交流会」で体言止めでも、会が開催されたというニュースではなく、これから開催されるというイベント案内となっています。

記事の中で、「開所初日は午前10時から開所式を行った後、スタッフがセンターの役割や震災後のストレス、PTSDなどについて市民からの質問・相談に答える。」という一文が、気になります。大きなお部屋でオープンな質疑応答をするようにも読めますし、それより前に「初日に専門スタッフが市民の悩みに答える交流会を開く」ともありますので、各スタッフが個別に相談をうけるブースがあるのかもしれませんし、ですがそれなら、「交流会」という名前にはしないようにも思います。そこで、これに関するちらしを見てみましょう。「開所式のご案内」とありますが、ちらしの裏面を見ると、「オープンニング プログラム」の大半は、開所式ではないイベントで埋まっています。その式も、「開所式と震災復興Q&A」というかたちでひとまとめになっていて、Q&Aのほうで、質問に対応することになっていますので、福島放送の記事が案内しているのは、日付と時間、内容からみると、これのことのようです。ですが、交流会は、それとは切りはなされたイベントのように、1時間ほどで設定されています。