きょう、cozreに、川崎病とは何?病気の原因や症状、治療方法について解説という記事が出ました。
「川崎病という病名は、1967年にこの病気を発見した、小児科医の川崎富作氏にちなんで名づけられました。」、これは誤解をまねくと思います。発見につながる最初の症例が、発症が1960年の暮れで川崎が診察したのが1961年、7例の学会報告が1962年、50例をまとめた論文が出たのが1967年です。一方で、名前の由来は、病気を理解する上で名前などどうでもよい、しかも病態と無関係な固有名詞では意味をもたないという考え方も理解できますが、誤解をさける上では、知らせる意味があると思います。地名の川崎と結びつけられ、いまも川崎公害裁判のイメージがあるのか、公害病だと思う人がときどきいるからです。地名由来の、水俣病などの公害病でもなければ、松戸病のような俗語でもありません。同様に、川崎医科大学も、川崎医療福祉大学も、人名の川崎が由来で、川崎にあると誤解されることがありますが、どちらも中国地方の倉敷です。川崎と同様に工業地帯だと言いたい人は、工業地域へと格下げされつつある北九州の人を刺激しないようにしてください。ちなみに、田園調布学園大学は、人名由来でないことは明らかですが、田園調布でも、調布でもなく、川崎とはいっても田園というほどではないところです。
「原因は何かと気になりますが、現在ではまだはっきり解明されていません。」、気になる表現です。「現在ではまだ」とあると、未来から来た人のようです。そういえば、富士通テンテクノロジには、川崎未来という人がいます。
「また、1~2%の確率で、兄弟が発病することから、遺伝的な要素も関係しているのではないかと言われています。」、これは誤解をまねきそうです。双生児法で遺伝率を得たのでもなければ、共有環境要因だけでも説明がつきます。川崎病の子供をもつ親の会のリーフレットには、「兄弟姉妹がほぼ同時に発病する例も」とありますが、このパターンはむしろ、感染をふくめ、環境要因の可能性をうかがわせます。もちろん、双生児でしたら、そういうレディネスかもしれず、環境のほうを支持する証拠としては弱くなります。mixiのコミュニティ、兄弟の川崎病発症率についてには、「私自身二卵生の双子ですが2人揃って同時に川崎病になりましたよ。」という例もあります。そして、これらは1967年論文が列挙した「特異的症状」の11番目とは、うまくなじみません。
「以上の6つが主な症状となり、そのうちの5つに当てはまると、川崎病と診断されます。」、これは日本川崎病学会などの立場です。海外では、「5日以上の発熱」は必須として、ほかに残り5症状のうち4以上とする基準が多いようです。
重い場合には、「状態の良い血管をつないぐバイパス手術」も選択肢に入ります。「い」を抜いて、残りを自然につなげたくなりますが、1967年論文が列挙した「特異的症状」の10番目が、「自然治癒し,後遺症をのこさいない.」であることを意識したのでしょうか。
「川崎病に既往した児童は、小中高の学校から、学校生活管理指導表の提出を求められることがありす。」とあります。「ま」が抜けていると教えたくなります。そういえば、不思議の国のアリス(L. キャロル作、旺文社)には、「中のひとりが「間抜け」をどう書くのかわからないで、教わらなければならないでいる」場面があります。
「感動動脈瘤なので、血管障害がある場合には、入院期間も長くなります。」とあります。感情のうごきを感じても、冠状静脈洞の誤字だとは思わないでください。
「子どもの日頃の健康管理に気を付けて、異常に早く気付けるようにしましょう。」と締めます。異常な早さで気づくことを求められているようにも読めますが、どんなことでも、早く気づくにこしたことはありません。
それで思い出したのが、バズプラスニュースにきのう出た記事、【衝撃】乙武の妻が週刊文春に激白! 夫の世話から逃げたかったことが判明 / 事務所で不倫しまくりの日常も暴露です。「最初、奥さんは乙武さんとの結婚の話になったとき「犬を飼ったこともあるし大丈夫」みたいな気持ちだったそうですが、いまになって、想像以上の苦労に耐えかね、疲れが爆発したのでしょうね。」とあり、他人が責めることではありませんが、早く気づけば、先を考えていればこうならなかったのではと思った人もいるでしょう。それでも命を買いますか? ペットビジネスの闇を支えるのは誰だ(杉本彩著、ワニブックス)は、抱いてかわいいと思ってすぐ買う、飼うという展開の問題にふれましたが、飼い犬からの類推だったとすれば、「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」はずが、「垣堅くして犬入らず」とはいかず、「飼い犬に手を噛まれる」こととなり、犬死にだけはまぬがれたかっこうです。
一方、ペットつながりですが、産経ニュースにきのう出た記事、専門家「ペットを飼うような感覚で女子生徒と暮らしていたのでは」 社会と接点を持ちつつ監禁という“二重生活”の容疑者には、「臨床心理士の長谷川博一氏は「寺内容疑者の行動は、ペットや人形をかわいがる感覚に近い。暴力などで支配するのではなく、お互いを必要とする関係を築きたかったのではないか」と分析する。」とあります。ですが、こちらは結局「ペット」に逃げられ、自分は死んで逃げることもならずに終わりました。雨宮まみのきのうのツイート、そういうことおっしゃると思ってたので、本当にそのままで残念です。を思い出しました。
ずうずうしいといえば、週刊ポスト 2016年4月8日号(小学館)には、佐野ひなこのスカートの記事の後のほうで取りあげた事件の犯人の妻の、「猫の里親になりたかったが、“結婚しないと里親になれないので猫をもらえない”といわれたから。」結婚するという、まさに「猫の子をもらうよう」な展開も、「婚姻関係が崩壊していく経緯についても、「夫もペットも同じと思えば腹が立たないようになってきた」と述べる。」ともあり、そして職場不倫、ばれると虚言、そのためかかわった男は凶悪犯罪の加害者と被害者とになるという惨事となりました。ですが、スポーツ報知のウェブサイトに出た記事、局部切断事件、不倫妻が「夫はペットだと思えばいい」赤裸々に吐露によれば、「供述調書には、妻の反省の弁はなかった。」「結婚前からの夢で一度はあきらめた海外の美術学校に行きたい」というようすで、「猫は三年飼っても三日で恩を忘れる」とでも言うべきでしょうか。