生駒 忍

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約束の時間より早く行く迷惑と女性の人見知り

きょう、ウーマンエキサイトに、人見知りすぎる、35歳 商社勤務・純子【スナック大宮 今夜も薄口アドバイス】という記事が出ました。

「「30人ぐらいが参加しているサークルのメンバーに一斉送信のメールを送るような気持ちで原稿を書きたい」と最近の僕は思っている」という意識で書いたと、先に宣言します。ベビーカーの外部不経済性の記事で取りあげた、あの炎上騒動を食らった筆者だからでしょうか。加野瀬未友のツイート、ネットって、誰に向けて書いていると明示しても、閲覧数が増えると、のようなめんどうはさけたいと、やわらかく前提をおいたのかもしれません。次の段落では、「みなさんも、顔見知りの39歳男性からメールを受けとったような気分で読んでくださいね。」と、日本語のシンタクスと意味 Ⅲ(寺村秀夫著、くろしお出版)が「情緒的」と表現した「も」の用法ではなさそうな表現で、念を押します。

「編集部が予約してくれた東銀座の居酒屋に赴くと、約束の時間よりも10分以上前に純子さんは座って待っていてくれました。」、行きとどいた人だと思った人も多いことでしょう。一方で、さようなら、憂鬱な木曜日にきょう出た記事、「アメリカ人との約束は、5分前に行ってはいけない」 正しい時間の守り方とは?からすると、日本人にさえ許容しがたい行いのようにも見えます。この場合は、筆者の時間をうばったわけではないので、問題ないでしょうか。それでも、予約先のお店にはわずかながら負担をかけそうですが、お店はそういう負担も想定した価格設定でとるはずとみて気にしない、自分は一円も出さなくても店から見れば「お客さま」なので平気、といった考えでしょうか。「約束の時間よりも10分以上前に」とわかったということは、筆者とは別に、編集部側の人が先にいて、その人の時間をうばった可能性はあります。筆者が来るまでひとりだったとしたら、店員からこっそり聞きだして、公開の記事に書くとは考えにくいですので、いつ来ましたかとたずねて、そう返されたのかもしれません。ですが、行きとどいた人でしたら、いま来たところと伝えることでしょう。灰皿に吸いがらがたまっていて、かえっていやみになってしまうと判断したのでしょうか。ここで、女性はたばこを吸わないというジェンダーステレオタイプに引っかかった人は、最新たばこ情報の、成人喫煙率(厚生労働省国民健康栄養調査)で、この人の世代を見てください。

「とりあえず、お酒で場を温めようと思ったのですが、純子さんは明日会社の健康診断を受けるためにアルコールは飲めないとのこと。それは仕方ないですね。」とあります。「悩めるアラサ―女性の恋愛相談にお酒を酌み交わしながら」という設定の企画だとは知らずに、ないしは知らされずに来たのでしょうか。Imperial March(John Williams)が流れて、目かくしをはずしたら「東銀座の居酒屋」などということは、絶対にないはずです。いつ呼びだしても「明日会社の健康診断を受ける」ことになっている人でしたら、「仕方ない」などとはとても書けず、むしろ来てもらえたことに感謝したいところです。

「人見知りなので、打ちとけるまでに時間がかかります。」というこの人を、「謙虚で親しみやすい雰囲気というわけでもない」「人見知りの表現方法でかなり損をしている女性だと感じました。」と評します。人見知りだと伝えることのさまざまな機能については、内田理央による3説の記事や、スゴレンのベスト3の記事で取りあげましたが、そういうことではないのでしょう。最後にあるアドバイス、「ポイントは、人見知りを開示すること。」「純子さん、短所と長所は表裏一体なんですよ。」は、うまくいかせますでしょうか。

「ハロウィンパーティで知りあった料理人さん」とのつまずき、「彼のおじさんが神奈川県の山奥でお店をやっていて、その店を彼が引きつぐことになったんです。一緒に来てくれないかといわれたのですが、東京を離れるのは無理だと思って別れてしまいました」というエピソードの後に、筆者の自分語りが1ページ続き、「純子さん、次の機会があれば東京以外に住むことも考慮に入れてみてください。」というアドバイスに持ちこみます。「埼玉県所沢市生まれの東京都東村山市育ち」が、「勇気を出して愛知県蒲郡市という聞いたこともない小さな自治体に」引っこした一例から、「移住先でも意外なよろこびが待っている可能性は大きい」として、根拠に見せています。具体的な地名をふせてはあっても、飲食店のお話だと考えると、途方もない山奥ではなさそうです。それでも、東村山音頭(志村ケン)で「ちょいとちょっと来てね」と歌われたような感覚のアクセスは、「神奈川県の山奥」でもむずかしい地域があります。行ってみてからではなく、地名からの決断と思われるところからは、まるで翔んで埼玉(魔夜峰央作、宝島社)での「茨城」のような、名前だけでもうと思った場所だったのでしょう。

それで思い出したのが、サーチナにきょう出た記事、農村彼氏の実家の粗末さで別れる中国都会女子・・・日本じゃ絶対あり得ない!です。「どうして日本の女性は、農村出身の彼氏の実家に行っても逃げ帰ることがないのか」、日本の皆さんは、外国人にこう問われたら、どう答えますでしょうか。それにしても、「日本の農村が優れている点として、全国的な農家の組織である農協によって農業生産指導、農家の福利保障が行われていること」、これが共産主義を目ざし、農民を組織して暴力革命に成功し、「一大二公」の集団化をすすめた党の支配が続くところからの評価というのは、皮肉なものです。