生駒 忍

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「心理的ひきこもり」の特徴と毒のある考え方

きょう、ハナクロに、他人事ではない!?ゆとり世代が気をつけたい「心理的ひきこもり」とはという記事が出ました。

「普通に学校や仕事に行き、滞りなく社会生活を送っているように見えるのに、他人と関係を深めることを回避したがる「心理的ひきこもり」に陥る若者」が主題です。「ひきこもり」と「社会的ひきこもり」とは、たとえばひきこもりの評価・支援に関するガイドラインでの前者の定義と、社会的ひきこもり 終わらない思春期(斎藤環著、PHP研究所)での後者の定義を見くらべて、どのようなちがいが生じるかを論じる興味がなり立ちますが、この「心理的ひきこもり」は、まったくの別ものです。離乳と心理的離乳くらいに、はなれています。キャリコネニュースにきょう出た記事、いじめを苦に27年間引きこもる43歳男性 社会復帰を目指してマラソンに挑むのような、重くてわかりやすいひきこもりではありません。なお、この記事には、「直樹さんの容貌は、43歳と言われればそう見えるし、未成年と言われればそうも見えてしまう。」とあり、きのう書いた記事で触れた、元県議のことばを連想するパターンである一方で、内容としては、ほっこりできない根暗オタク女の日常をまんがにしてみた(お肉おいしい作、一迅社)の、「若い=かわいい ??」を連想させます。

「人とコミュニケーションを取ることは避けるのに、それでも外に出ていくのは人の視線や評価に対して過度に敏感だから、と言えます。」、過敏ならむしろ、外へなど出られずふつうのひきこもりになるはず、あるいは評価を得たいがためのコミュニケーションに執着するはずと思った人もいるでしょう。前の「人」と後の「人」とのずれを感じられると、読みとりやすいと思います。あるいは、先ほどのほっこりできない根暗オタク女の日常をまんがにしてみたの「私だけかもしれない」のような、敏感さが後であらわれることも、あるのかもしれません。

「常に孤独というわけでもなく、一見普通に人と会話を楽しんでいるように見えても、深くかかわり合うことは回避し、特定の親しい仲間を作らないというパターン」、これはめずらしくなさそうです。エピソードでつかむ青年心理学(大野久編、ミネルヴァ書房)では、「友人関係の負の側面」という章であつかわれる話題です。ヤマアラシの針が長くなったのだとイメージしてもよいでしょう。なお、随感録(A. ショーペンハウアー著、白水社)にあるあのお話が、ヤマアラシかハリネズミかでぶれたり、2匹のという設定に変わったりした経緯は、興味のある人は調べてみてください。

原因について、「家族友人やとのこじれによって人に対して恐怖感を抱き、信用できなくなってしまったなど、何らかの「過去」に囚われてしまっている所が共通点」なのだそうです。エビデンスを見たいところですし、もしそうだとしても、「過去と他人は」のパターンに気をつけたい問題だと思います。日刊SPA!にきょう出た記事、病院で「嫌われる患者」とは? 女性看護師に聞いてみたに、「病気を人や仕事のストレス、遺伝のせいにする人はイヤですね。」とあることに近いでしょう。なお、この記事には、「お尻から異物を入れて取れなくなってしまう人も意外と多いのだとか。」「シャンプーボトルや茶碗蒸しのお椀が出てきたこともありましたが、一番驚いたのはゴジラのフィギュア。」とあり、こちらもおどろきました。エスカレートして抜けられなくなってしまったのだろうと考えるうちに、WIREDに2年前に出た記事、Godzilla Gets Bigger Each Yearが頭にうかびました。

「本人の心持ち次第で改善は比較的容易」としますが、「しかしその「本人の心持ち」を変えることこそが、孤独に悩んでいる人にとっては難しいこと。」、結局はむずかしいようです。「趣味関係で友達を作ってみるのもよい」、とてももっともですが、これも「特定の親しい仲間を作らないというパターン」にとっては、できた時点でイコール改善です。

「「コミュ障」などと簡単な言葉で片づけられてしまいがちですが、もしかしたら深い心の傷を負っている可能性が。」とあります。決まった単語のイメージで単純にすませず、中身を考えることは重要です。

それで思い出したのが、JBpressにきょう出た記事、「農薬じゃない」毒物を平気でまき散らす無農薬信者です。「安全性についてまず見なければならないのは、毒性の強弱であり、農薬か否かではありません。」、そのとおりです。強い毒性があるのは、「「農薬さえ使わなければ安全が確保できる」という単純かつ間違った考え方」のほうなのです。