きょう、日刊サイゾーに、「軍艦巻きは、日本軍国主義の復活の証!?」解放軍機関紙が発表した珍説に、中国人も失笑という記事が出ました。
大小さまざまな失笑ポイントがあります。「大洗市」とありますが、市制施行がされたことはありませんし、市に合併される以外に、市になることはなさそうなところです。以前に大洗町の観光の記事で取りあげた、大洗町です。
「日本の芸大生の卒業制作「リアル軍艦巻き」」に、「寿司店で提供されているものだと勘違い」、もしメニューにあったとしても、注文するのはやぼ、下品か、江戸っ子のような男気かの両極でしょう。そして、こちら葛飾区亀有公園前派出所 47(秋本治作、集英社)の、あの迷勝負を思い出さざるをえません。
「かつての文革時代には、ほんの些細な言動が後に別の人によって曲解され、それが原因で糾弾された人も少なくない。」、ここはいまの日本に向けた、痛烈な皮肉のようにもみえます。イスラーム原理主義のテロ、ギリシャ問題の決裂、AIIBの50か国調印と、世界情勢が次々にうごく中で、中のメディアが注力している作家のメディア関係発言の騒動では、非公開で検証困難なやりとりから、一部のみをひとり歩きさせての非難が展開されています。zakzakにきょう出た記事、百田尚樹氏「発言」の真意 報じられた言葉と報じられなかった言葉にあるように、「言論弾圧」の方向にとれる部分だけは大きく流され、言論への圧力に正面から反対したところは出されませんでした。タブーに触れたために「つぶさなければいけない」というのが「真意」かはわかりませんが、BLOGOSにきょう出た記事、マスメディア最大のタブー『電波利権』に触れていた百田発言〜「報道の自由」=自分たちが触れられたくないタブーは「報道しない自由」だにあるように、マスメディアの自由化をよびかけるところも、出されませんでした。特定の方向のものだけを通して、まるでマクスウェルの悪魔です。それでも、この悪魔はあくまで、中立性の原則は通します。そのため、Togetterまとめに先日出た記事、朝日新聞・今村優莉記者(@JCyouli)さん「百田尚樹の真意を伝えたかっただけ。代弁なんかしていません!」には、「言論弾圧」の方向にとれる部分を出して、あとの主張はひと言たりともあつかうなと言わんばかりの人に非難される展開があって、上には上なのか、ななめ上なのか、言論を論じると百人百様といった感じです。