生駒 忍

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コーヒーが合わない人と多数派の「両向型」

きょう、バズプラスニュースに、内向的な人がコーヒーには向いていない理由という記事が出ました。性格とコーヒーの選択の記事で取りあげたものとは別の次元の観点で、コーヒーが合わない性格について取りあげたものです。

タイトルの書き方が、向きが奇妙にも感じられます。私でしたら、「内向的な人にはコーヒーが向いていない理由」と書きたいところです。

本文は、「最新のパーソナリティ心理学書『Me, Myself, and Us』によれば、内向的な人間にはコーヒーは向いていないかもしんないらしい。」と書き出されます。こちらは、書き方の向きは問題ないのですが、方言や、「パーソナリティ心理学書」という表現が気になりました。Me, Myself, and Us: The Science of Personality and the Art of Well-Being(B.R. Little著、PublicAffairs)がパーソナリティ心理学に関する本ではないというわけではありませんし、パーソナリティ心理学、パーソナリティ心理学者という表現はありますが、「パーソナリティ心理学書」には違和感があります。もちろん、10月に出たAuiobook版のほうであれば、「書」ではありません。

その「心理学書」からの引用が2か所ありますが、第2章からの、直訳ではなく意訳、抄訳と見るべき内容ですし、イタリックで強調した場合もあるquantitativeは、誤訳されたようです。「激しい会議」とあるのは、「a rapid-fire discussion」のイメージを出した表現だと思います。

「この説のネタ元は1987年の研究(1)でして、なんでも外向型と内向型は大脳新皮質の構造が違っており、そのせいで外からの刺激に対するん反応も変わってしまうらしい。」、いろいろなレベルで落ちつかない一文です。2章ではこのコーヒーのお話のすぐ後に、MBTI的に外向-内向が分かれるのではなく、実際には中間の人が多いことが書かれますが、中間の人の「大脳新皮質の構造」は、どのようでしょうか。经济观察网にきょう出た記事、“飞机”上的环境心理学に取りあげられた「扶手神器」のようですが、つながっている現実を、人為的にぴったり切りわけることには、よしあしがあります。なお、多数派である中間は、ambivertと呼ばれ、「両向型」と訳されることが多いのですが、ESSRのように、向きが別々の異なるものの両方がある意味あいとは異なりますので、誤解をまねくようにも思います。同じ軸の中ほどを取る意味では、中間型と理解するのが無難ですが、原語の語感は落ちます。造語で、たとえば「中向型」のようにするのも一案ですが、「内」向型とまぎらわしいのが難点です。そもそも、中ほどが多い分布を3群に切りわけるのは、回帰効果の点で好ましくないという見方もあるでしょう。Amazon.co.jpでとても評価の高い、リスク 下 神々への反逆(P. バーンスタイン著、日本経済新聞社)でいう、「ゴールトンの平均への回帰が意味をなさない、ごつごつした世界である。」という理解は、できますでしょうか。

さて、「同書によれば、コーヒーのほかにも、騒音やストレスの多い環境も、内向型の人間には悪影響とのこと。」、騒音もストレスも、一般にはよいものではありませんし、そもそも騒音とは、デジタル大辞泉を引くと、「騒がしく、不快感を起こさせる音。また、ある目的に対して障害になる音。」です。内向型のほうが、悪影響が大きいということでしょう。ストレス社会といわれる現代は、内向型には不利な環境だと考えられます。一方で、内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力(S. ケイン著、講談社)は、外向型が志向される今日のアメリカでさえ、内向型にもきちんと価値があると論じます。内向型の皆さん、前を向いていきましょう。