生駒 忍

記事一覧

視覚障害者の外出時の被害とアフォーダンス

きょう、埼玉新聞のウェブサイトに、外出で恐怖7割、性被害や暴力行為も 県視覚障害者協会アンケートという記事が出ました。

この調査では、「被害状況など」が調べられて、調査した団体の幹部によれば、「被害の実態がここまで詳細に分かるのは初めて。」だそうです。価値のある知見だと思います。そして、「外出で危険や恐怖を感じたことがある人は、約7割の75人に上った。」とのことです。後ろのほうに、「視覚障害者用の「音声読み上げソフト」を使い、約300人にメールで協力を求めた。」とありますので、回収率が低いという批判もあるとは思いますが、回答者の7割は多いでしょうか、少ないでしょうか。視覚障害のない人なら、外出時の危ない思いがゼロだとは、とても思えません。「ホームで電車を待っている時、電車が動いているのに後ろから押された」ようなことは、背中に目がある人はいませんので、視覚障害がなくてもよけられません。ですので、対照群との比較があれば、なおよかったところです。それでは、皆さんが調査を追加するとしたら、どんな対照群を合わせますでしょうか。補集合のように、それ以外の人で、でよいでしょうか。補集合から、ほかの障害者も除いてからがよいでしょうか。また、ふだん自転車、自家用車、自走式車いすで外出する人は、危険の起こり方が本質的に異なるでしょう。公共交通機関の利用量を、計ってきちんとそろえることも考えられますが、たとえば電車で厳密にするなら、営業キロ数と、乗車時間と、乗りかえもふくめた時間と、乗車回数と、乗りかえをふくめない乗車回数と、運賃と、どれが適切でしょうか。運賃には、障害者割引への注意も必要です。あるいは、ほかの障害者、たとえば聴覚障害者との比較から、障害や手帳の有無を統制して、視覚障害がかかえる問題を見るべきでしょうか。交通弱者として、肢体不自由とのほうがよいでしょうか。

気になったのは、「被害」という表現です。被害を起こした主体の存在をイメージさせます。「電車とホームの隙間に落ちてけがをした」、これは誰からの「被害」でしょうか。すきまの生じる設計を世界中で続ける鉄道産業でしょうか。わが国では、すきまへの注意喚起のアナウンスもありますが、すべてのすきまには流しませんので、その怠慢の被害でしょうか。もちろん、アナウンスを増やせば、うるさい日本の私(中島義道著、日本経済新聞出版社)のような「被害」を増やすことになります。

「つえの意味、点字ブロックの意味を多くの人に理解してほしい」、これはまったく同感です。ですが、意味を聞かれれば、たいていの人は、それなりの回答をできると思います。問題は、「意味」がわかっていればしそうにないはずの不適切行動が、出てしまうことです。点字ブロック上への駐輪は、めずらしくありません。弱視でもわかりやすいようにと、あの色ですので、いちいち目をこらさないと見えないとは思えませんが、その上に平気で駐輪されます。また、誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論(D.A. ノーマン著、新曜社)で使われる意味でのアフォーダンスを思わせますが、よりによって点字ブロックにそって行列がつくられがちな公共の場所も存在します。

そして、この調査のきっかけである川越駅視覚障害児傷害事件は、その「理解」や啓発の限界をうかがわせる事件だったのでした。SANSPO.COMの記事、全盲生徒蹴った疑い 知的障害の男を容疑者と特定にあるように、「狭山市の男(44)」が特定されましたが、「男は知的障害があり、受け答えが困難という。」とのことです。駅での偶発的なトラブルが、差別や人権につなげる展開に広げられていたのが、犯人がうかんでからは、佐村河内・ASKA・小保方の記事で触れた、「アンネの日記」損傷事件のその後のように、トーンダウンしたように思われます。人口減少の中で障害者が増える時代に、両方が障害者である今回の事件をどう考え、どう未来につなげるかは、重要なテーマになりそうですが、盛りあがらないようです。議論というよりは、片方を単純に悪と決めての、一方向的な主張しかしたくない人ばかりなのでしょうか。