きょう、IRORIOに、携帯電話のせいで若者が「自己中」になっているという記事が出ました。1年前に書いたうつ病と感情調整の記事で、携帯電話にとらわれる危険性について触れましたが、そのとらわれぐあいをとらえた調査を取りあげています。
「グローバルエージェンシーのハバスメディアが、16歳~65歳の英国人3,000人を対象に、デジタル機器が社会的または人の心理に与える影響を調査したところ、16歳~24歳の74%が「片時も携帯電話が手放せない」と回答した。」そうです。ですが、下部に3種類並んだ「出典元」のうち、MailOnlineは74%としましたが、あと2か所は画像の中で、71%としています。多数決で後者だと考えたい人も多いと思いますが、MailOnlineの74%は、3回登場します。
「ソーシャルメディアの影響で、若者たちのナルシズム(自己中心主義)が増長し」とあり、narcissismを「ナルシシズム」と書かないことはともかくとしても、「自己愛」では語感がずれそうなので、「自己中心主義」と書いたのでしょう。さらに、「実際に2/3の若者が、「友達や同僚と一緒にいても、会話が途切れれば携帯をチェックしたくなる」と自己中っぷりを発揮。」とあり、俗語の「自己中」に相当する英語は何だろうと思いましたが、「出典元」を見ると、3分の2という割合は、MailOnlineではalmostがついたことをのぞき、どこも同じなのですが、それらしい表現をともなってはいませんでした。あるいは、会話の最中に行動に移すのならまだしも、こんな欲求があるくらいで「自己中っぷり」と表現する筆者が行きすぎだと見るべきでしょうか。ですが、「自己中」については、自分でそれらしく気がつくところがあるなら、すでに相当なものだという見方もあるでしょう。なぜ、あの人と話がかみ合わないのか(細谷功著、PHP研究所)は、「自分の身勝手さが問題なのではないかと「うすうす気づいている」という方は、現実にはその一〇〇倍ほどは自分中心だと思うぐらいでちょうどいい」とします。
そういえば、この人は気づきがあるのかわかりませんが、舛添要一都知事が訪韓して勝手な発言をしてきたと批判されていることに関して、Business Journalにきょう出た記事、舛添都知事、韓国優遇策の背景に私的な感情とルーツ?都内に韓国学校増設、在日韓国人融資が取りあげ、出自がらみの可能性を指摘しました。きょう、舛添批判の市民デモの列に、私は八重洲で遭遇して、おそらくはなしのつぶてだろうと感じましたが、どうでしょうか。