きょう、YOMIURI ONLINEに、(1)「発言小町」に専門家の回答は必要か?…精神科医・香山リカさんという記事が出ました。大手小町15周年企画の一環でのインタビューから、一部をまとめたようです。
「女性が大切にされる時代になって」、「それでも、小町の投稿を読んでいると、「やっぱり女って生きづらいんだなあ」って感じます。」、「社会進出が進んだがゆえの大変さも」、とします。このあたりは、実体験に基づくゆずれない主観どうしがぶつかりがちな話題ですので、データを引きましょう。統計データが語る 日本人の大きな誤解(本川裕著、日本経済新聞出版社)は、さまざまな話題を盛りこんでいますが、以前に引っ越し後の心的外傷の記事の最後で触れたような関心も含めて、性別にかかわるところも多く取りあげてあり、一番はじめに出てくる図である図1が、「世界的に小学校の先生には女性が多く、日本の女性比率は先進国の中で最低」であるほどです。図2-18「女は減り、男は減らない自殺率」、図4-12「生まれ変わるとしたら男がいいか女がいいか」、図4-14「女の幸せ、男の不幸せ(日本など東アジアの特徴)」などの、ひと目でわかる明瞭な知見があります。生まれ変わっても女がいい国って、ホント?(マークス寿子著、朝日新聞出版)という本がありますが、図4-12のグラフの右上のあざやかな逆転ぶりでわかるように、ほんとうです。それでも、「今の日本で苦労が多いのは」は男女で拮抗したままで、香山の理解と対応するようです。
「精神科の臨床の現場でも、「ピアサポート」といって、うつ病など同じ悩みを抱える人同士でケアしあう方法がとられるようになってきていますが、専門家のカウンセリングではなく、そこでむしろ立ち直る人も多くいます。」とあります。「臨床」と「現場」とのどちらか一方を書けば足りるかどうかや、精神疾患に「治る」ではなく「立ち直る」というとり方をすることにも、議論があるかもしれませんが、この書き方ですと、ピアサポートは精神科領域の方法論であると理解されそうです。もちろん、そういう適用場面も有効性もあるのですが、もっと広く、あるいはまた別の方向で、より使われる用語であるように思います。医療側のものは、自助グループと呼べるものはその呼称でよいですし、「自助」は自助努力や自己責任のような、冷たい「砂のような個人」を連想させてしまい、地域包括ケアシステム構築における今後の検討のための論点での「自助」「互助」「共助」「公助」の概念でいう互助に近いところがわかりにくいことが引っかかるのであれば、セルフヘルプグループと呼べば、いくらかましになるでしょう。ピアサポートの定義は、かなりまちまちなのです。カウンセリング心理学事典(誠信書房)を見ると、「ピア・サポート」の項目では、ピア・サポート実践マニュアル(T. コール著、川島書店)を引用して、「全地球人が共生するための支援活動は,すべてピア・サポートプログラム」と大きく出る一方で、「ピア・ヘルパー」の項目での言及では、同じピア・サポート実践マニュアルから引いて、「生徒が他者に関心を向け,その気持ちをどのように行動に移すかを学ぶ方法」とします。日本ピア・サポート学会は、そういう教育現場のピア・サポートをあつかう学会ですが、学会サイトの本学会の概要のページは、ご覧のとおりで、定義もありません。また、用例でわかる カタカナ新語辞典 改訂第3版(学習研究社)には、「子供たちが,よりよい人間関係を築いていけるように,2人1組でお互いの話を聞き合う訓練プログラム.」とあって、独特です。なお、この辞典は、同じく「ヒ」のところで見ていくだけでも、ヒエログリフには「J. シャンポリオン」という兄と区別しにくい表記、オオオニバスを「ビクトリア・レギア」として、amazonicaではないかたちで収録し、同じものを指すとしか考えられない「ヒドラジン」が2項目ならび、非ユークリッド幾何学には「ユークリッド幾何学とは異なる公理系(平行線公理の否定)を元にした幾何学大系.」と誤字、ピラルクは「体長4~5m.」と大きく出るなど、かなり特徴的です。