生駒 忍

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自称「武井咲」がレオタードを盗みました

きょう、朝日新聞DIGITALに、「武井咲さん名乗りレオタード盗んだ」 容疑の女が供述という記事が出ました。

第1報、レオタード計101万円分盗んだ疑い 自称タレント逮捕では、昨年1月30日に「体育大学の学生です」といつわって行った盗みが報じられましたが、この記事によればその少し前、24日には「武井咲です。主人公が新体操をする映画を撮るので、レオタードが要る」と言って、やはり盗んだそうです。被害にあったのは、オリンストーンのショールームだと思いますが、ウェブサイトでは繁忙時があるように書いてあるとはいっても、関心のある人がとても限られる商品ですから、まったく同じ人が、店員と会話して試着もして、盗んで1週間ほどしてまた来たのになぜ、と思った人も多いと思います。ポイントは、順序です。もし、体育大生と称したほうが先だとしたら、被害額も大きかったので、2回目にマスクをしてきても、はじめから警戒されて、今度はむずかしかっただろうと思います。ですが、先にマスクで来て、しかも武井咲だと信じさせてしまえば、そのイメージに記憶が引きずられますので、2回目はまったく別人の設定であれば、気づきにくくなるのもうなずけます。しかも、同じ盗っ人が同じ店に、今度はマスクなしで堂々と来店するとは、ふつうの感覚では考えられないことです。

武井咲を演じる中で、どこかでおかしいと思わないのかと思った人もいると思います。それはキダ・タローの佐村河内批判の記事で取りあげたキダの正論と同様に、まったくの正論なのですが、やはり後だしでもあります。おれおれ詐欺に似たところがあって、はじめにわずかな手がかりでそう思ってしまうと、途中で訂正するのはむずかしいのでしょう。東スポWebにきのう出た記事、レオタード盗んだグラドルに「オーディションすっぽかし」過去の写真で見て、目もとが似ていたのでという店長の主張は、同情できそうでしょうか。そして、マスクをとればぼろが出そうなところを、かぜをひいたので声がというおれおれ詐欺の古典的な手口や、楽譜を書くところは神聖なのでと撮影させなかった佐村河内にも近いのですが、設定をいかして絶妙にかわしました。暗闇から手をのばせ(戸田幸宏監督)では、小泉麻耶は私物の衣装でデリヘル嬢を演じたそうですが、武井クラスで映画のための衣装を自分ひとりで調達とは、奇妙といえば奇妙なところを、武井だと信じてからでは、つじつまが合ってみえる「物語」をつくってしまった可能性があります。より自分に似あうものを持っていき監督に提案したい、自宅で役づくりに使いたい、あるいは映画のお話は照れかくしで、単に私的に着たいだけ、などといったぐあいです。今月に第2版が出た医療におけるヒューマンエラー なぜ間違える どう防ぐ(河野龍太郎著、医学書院)の第5章で、「たぶん,あれのせいだよ(こじつけ解釈)」と呼ばれるものです。

記事の最後にある店長の反応が、かなり強いものです。盗みへの怒りよりも、まったくの別人を武井咲だと言われて完全に信じた自分への恥ずかしさが、この短い怒り発言の中にも感じられます。

別人といえば、きょうのNHKラジオ第一のラジオ深夜便の午前2時台のコーナー、「ロマンチックコンサート」では、「おもちゃの交響曲」の作曲者をL. モーツァルトだとしました。作曲者について長く議論のあったこの佳曲は、20年ほど前の発見により、おそらくはE. アンゲラーの作品だとされるようになりましたが、古い理解のままで放送されてしまったようです。あのときに流した録音のCD、バッハ: 主よ、人の望みの喜びよ マリナー/ASMFの記載のままを読んだのでしょうか。この日は、楔形文字を「きっけいもじ」と読んだことへのおわびから始まったのに、また適切とは言いにくい放送をしてしまったのでした。以前に書いた福祉と生きる意味の記事の一番最後に引いた、ベンバ族のお話を思い出しました。なお、「楔」の読みは、神経科学の世界でもときどき話題になるものです。Mochi's-Multitasking-Blogの記事、[楔前部 読み]検索者へをご覧ください。