生駒 忍

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いじめ被害者の居場所感のなさと友だち親子

きょう、JIJICOに、いじめ20万件時代を生き抜く子どもの心理という記事が出ました。

文科省のいじめ対策Q&Aを取りあげ、「この中で、「いじめはなぜ起こるのか」との問いに対し「不満やストレスのはけ口として起こりがちです」との回答が見つけられます。しかし、私は「いじめをする側」が幸せではない環境にあり、自己肯定感が低いからだと考えています。」とあります。自己肯定感との関連も、もちろん理解できるのですが、「しかし」として、文科省の指摘を否定するような書き方なのは、なぜでしょうか。いじめ加害者にきびしく対応すると、「根本の不満、ストレスは解消していないので、またどこかで別の形でいじめが起きる可能性が」とし、自分の提案について、「家庭、学校、会社などで実践されれば 不満やストレスが減り、日本からいじめを減らすことにつながる」と主張するのでしたら、ストレス原因説にはむしろ、肯定的であってよいはずです。うらみやねじれた気持ちがあって、お上には逆らいたいのでしょうか。そういえば、毎日新聞のウェブサイトにきょう出た記事、PC遠隔操作:被告「権力に漠然とした怒りあった」と動機によれば、大手エンタテイメント企業の業務妨害や児童殺害予告などの前科で実刑を受けているあの犯人は、「権力に漠然とした怒りがあった。警察を右往左往させることで恨みを晴らした」と主張しているそうです。

「また、私もトラウマ治療を行う中、「いじめられた体験」を「過去のものにしたい記憶」として挙げる人は少なからず存在します。」、ねじれた文ですが、言いたいことの見当はつきます。トラウマ的な記憶が、いつまでも「現在の作用」であり続ける現象については、認知心理学の新展開 言語と記憶(川崎惠里子編、ナカニシヤ出版)で、記憶のソースモニタリングと関連づけて触れました。

「いじめに関わる子どもはどこにも居場所がないと感じている」として、加害者、被害者の両方に、居場所のなさがあるとします。加害者側にもこのような論を向けることは、あまり多くはありません。被害者側については、たくさんあります。今いじめられている君へ カウンセラー50人からの手紙(松原達哉編、教育開発研究所)にも、居場所への言及があちこちにあります。なお、その中で、タイトルにまで含まれているのは、「心の居場所をつくろう」の2ページのみですが、その内容は、フォーカシングの技法を子ども向けに説明したもので、ややイメージが異なります。

いじめ予防には、「民主主義の理念「ひとりひとりが人としては対等の価値がある」を意識し、それを態度、行動に移すのです。具体的には、子どもに「大切な友人」に対応するように接します。」、これはユニークです。それが正しいとしても、一般には、いわゆる友だち親子の心理的問題を考えると、不安なところがあります。また、思春期の親子関係を取り戻す 子どもの心を引き寄せる「愛着脳」(G. ニューフェルド・G. マテ著、福村出版)は、親子の愛着と仲間指向性を論じる中で、第10章でいじめを取りあげています。