きょう、J-CASTに、就活めぐる「親から教授への無理難題」 優秀じゃない子から推薦して!という記事が出ました。
冒頭の3本の要望は、いわゆるモンスターペアレントだと斬っておしまいかもしれませんが、興味深いのは、お子さんに対する評価です。うしろの2本は、自分の子どもが有利な特性を持っているわけではないという理解の下で、相対的に有利になるような処遇を求めているようです。親の不満でありがちな、「ウチの子はいい子なのになぜ就職できないの!?」 我が子を過大評価するクレーマー親が招く不採用の嵐のような世界とは逆で、謙虚であるともいえます。現実が見えていそうなだけましだと見るか、だからこそかえってあわれだと見るかは、それぞれでしょう。
コーヒーのたとえの後に、「ちなみに私はブラック派だが。」とあります。ここで、若者が本来のかたちのコーヒーを飲まなくなったことを連想しました。@DIMEのなぜ、こんなに愛される?魔法の飲み物「コーヒー」と日本人の関係や、NEWSポストセブンのコーヒーにも世代間ギャップ 最近の若者は甘党多いと専門家などが示すように、苦みはさけられ、甘い飲み物を求めるようになっているのです。もちろん、好みの問題だといえばそれまでですし、口や体質に合わない人が、ブラックを飲むのがかっこいいと思って無理するのもどうかとは思います。そういえば、週刊新潮 8月28日号(新潮社)は、ブラック企業批判をつづける日本共産党の、「ブラックジョークとしか思えない」ブラック体質の露呈を批判していました。
「前に「叱られたことのない学生」の話を書いたが、最近「他人と争ったことのない学生」も目につく。」、ある意味で、現実まで苦みぬきになっているともいえそうです。財界さっぽろ 2014年6月号(財界さっぽろ)で、渡島信用金庫の佐藤広子という人が、「ゆとり世代という言葉がありますが、競争心、向上心が前に出てこない感じがします。」と評したのを思い出しました。ですが、何ごとにも意欲が低く、何時もあらそわないのならまだわかるのですが、ゆとり世代批判のような指摘には、うって変わってあらそおうとする人はいませんでしょうか。そのエネルギーは、建設的な努力に回したほうが、ずっと自分のためになりますし、それが結果的に、「ゆとり」は低意欲というステレオタイプをひっくり返しますので、批判も自然になくなっていき、一石二鳥だと思います。