生駒 忍

記事一覧

回想法を結果ではなく手続きで説明しています

きょう、タウンニュース藤沢版という折込情報紙に、ロールプレイや実践活動 心理療法「回想法」の講座という記事が出ました。全5回の講座の紹介です。

以前に、地域回想法に関する記事を書きましたが、日本が高齢化社会でなくなってそろそろ20年、こういう取りくみはまだまだ増えていくものと思います。ですが、この記事で注意をひいたのは、「同じ話を繰り返し、昔のことを今の出来事のように話す高齢者に対し、共感をもって受け入れる態度で傾聴する心理療法」という表現で、回想法を説明しているところです。回想によってあれこれのよい効果をもたらすという、相手側の結果ではなく、こちら側の手続きなのです。それも、マイナビニュースの「そんな昔のこと覚えてるの?」の本音は?【女性の恋愛心理】ではありませんが、年寄りの昔語りはめんどうなものだというニュアンスが感じられます。同じ内容のくり返しで、まるでダメダメな人生を変えたいM君と生活保護(池上正樹著、ポプラ社)に出てくる、段ボール箱を右から左へ動かし、終わったら左から右へ動かし、また右から左へというだけのアルバイトのような、非生産的な感じにも近いでしょうか。これで幸せにさせるのだと、恩着せがましくせずに、手続きをそのまま述べるのは、謙虚でよいとも思えます。それとも、単に自分の立場からそのまま書いただけなのでしょうか。問い合わせ先に「先生」をつけるのは、あまりない書き方です。中華風の敬称でもないはずです。

同じくきょうの記事に、ポリオ撲滅を訴え 市内8ロータリークラブというものもありました。国際ロータリーの、End Polio Nowの一環でしょう。そこに、「代表の阿部剣朗さんは「みんなで協力してポリオを撲滅させましょう」と呼びかけた。」とあります。撲滅しましょう、ではなく、させましょうと言うのです。直接に活動するのは、このメンバーでも、寄付した人でもないという意味では、集めたお金で国際機関にポリオを撲滅させますというのは、立場を正しくわきまえているともいえます。ですが、まるで機関が撲滅をしぶっていて、市民が尻をたたかなければいけないかのようにも読めます。それとも、撲滅は「絶滅」とのとり違えなのでしょうか。nid vol.27(エフジー武蔵)で、「近年さまざまな健康食情報が錯乱しているという現実」とあるのを見て、おそらく「錯綜」や「氾らん」と混乱したのだと判断したことを思い出しました。