きょう、wifeに、ママカーストに隠された心理とは!?という記事が出ました。
「インドの身分制度として有名なカースト。」と書き出され、「日本でもこの制度になぞらえて、学校でクラス内の格付けをスクールカースト、職歴の優位性を競いキャリアカースト、といったものが登場」と続きます。カースト制度に肯定的であるようにも感じられてしまうのが、少々気になります。同じくwifeに、ママ友の『断舎利』と健全なママ友関係の作り方についてという、仏教をちゃかすようなタイトルの記事を書いたライターとしては、ヒンドゥー的な伝統に関心があるのかもしれません。なお、不可触民とカースト制度の歴史(小谷汪之著、明石書店)のような、書名に採用しつつも、「カースト」という表現の問題を指摘する考え方もありますが、日本の概念をヴァルナ・ジャーティで読みかえるのもいろいろと不自然ですので、これはやむを得ないでしょう。
「中でも有名なのは、ママ同士の間で優劣をつけ合うママカーストです。」、有名であることはそのとおりですが、あの中では、スクールカーストのほうがより早くから知られ、今もより有名だと、私は思います。キャリアカーストよりは有名でしょう。こういう話題だけに、つい上下を考えてしまうことをねらって、こう書いたのかもしれません。
「ママカーストは夫の年収と子供の能力」という節の2事例は、mamatennaの記事、最恐! ママカーストってなんだ?にある、「Rさん・29歳」と「Aさん・34歳」との声を、それぞれリライトしたものと考えられます。そして、リライトの前後とも、少なくとも直接には、夫の年収や子供の能力がカーストを決めたとは言いにくいものです。
「自分自身の能力ではなく付属品での勝負を考えるのは、自分に自信を持てていない証拠」、人格を持った家族を付属「品」とは品がありませんが、よくあることです。格付けしあう女たち(白河桃子著、ポプラ社)は、「しかし女性は「人の人生に乗っかり、格上げする」「リボーン」という夢が残されています。」としつつ、「セレブ妻の取材をした時に感じたのですが、高収入の夫と結婚して、優雅な生活を送っている奥様達の中でも、よりセレブらしく自分を演出し、派手にふるまう人ほど、自信がない人が多かった。」と明かします。
子どもでも同様で、わかりにくい表現ですが、「子供に評価を下し、比較して優位に立つことが、自分の評価のように感じられてしまうのかもしれません。」とあります。音羽幼女殺害事件(佐木隆三著、青春出版社)は、まだ「ママカースト」ということばのない時代の、このあたりの感覚を伝えます。あるいは、いわゆるモンスターペアレントの暴走にも、勝負の品にぼろが出たことが自己評価に直結してしまう、「自己分化」ができていない問題がありそうです。Toggetterにきょう出た記事、【あまりにも酷すぎる話】栃木の小学校 ママ友2人がLINEいじめで連続自殺の壮絶の、コメントの2番目にあるような解釈です。でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相(福田ますみ著、新潮社)にある、ほかの児童への暴力を説諭されてもなおやめないという、最近では岩手中2自殺事件でいじめ加害者がしていたとされる姿勢の子が、家庭訪問を受けた後に「教師によるいじめ」にあっていると訴えだし、一部マスコミが学校たたきにつなげた事件が、歯が折れる、キリスト教批判、自殺強要、「いじめ」によるPTSD発症など、異様な主張はことごとく裁判で否定されて終わり、一部認められた体罰までも、実際は虚言だったという事件も、近いかもしれません。