きょう、盛岡経済新聞に、盛岡にワッフル専門店「ワッフルエムズ」-ふわふわ食感で人気にという記事が出ました。
記事タイトルは、前半だけ見ると開店のニュースのようですが、後半は開店からしばらくしないと書きにくい情報です。オープンから1か月なので、「盛岡のワッフル専門店「ワッフルエムズ」 ふわふわ食感で人気に」とは書かずに、開店情報の感じも出したかったのでしょうか。この記事自体は、あのサイトではかなりアクセスがあって人気記事になっていますが、「人気に」という状態をメインにした記事内容でもないので、そこを前面に出すことをひかえた面もあるのかもしれません。人気をうかがわせるのは、後のほうに「ワッフルは一日300個限定で、早い時は昼過ぎにはなくなってしまうという。」とある一文と、写真が売り物をきれいにそろえた撮影用の絵ではなく、品切れがわかる状態のものであることくらいでしょう。なお、私は食べたことがありませんし、実際の人気や評判もわかりません。とりあえず、検索してみると、waffle (ワッフル) Ms(エムズ)という個人ブログ記事は確認できました。
「ふわふわの食感にこだわって試行錯誤を繰り返し、ほのかな甘さとしっとり感のある生地が完成。」とあります。外見や、花輪ふくし会を定年退職した可能性から推測すると、「こだわる」ということばのこういう使い方は、店主が自分でしたものではないかもしれません。私の業界では、自閉症スペクトラムのことがあるのでまた特殊なのですが、本来はよくない意味あいだったものが、世間ではしばらく前に反転したことばです。今はもう気にならなくなった人も、ずっと違和感を持ちつづけている人もいるでしょう。サラダ油が脳を殺す(山嶋哲盛著、河出書房新社)には、一生のこだわりを持つことの影響のお話がありましたが、そのこだわりも、よい意味でのものでした。一方で、日本語ネイティブではない人ですと、最近ではたとえば、Rillia 2014年5月号(講談社)で、演歌歌手のジェロが、「僕はこだわりますが、人には求めません。」と書きましたが、これはどうでしょうか。