日経おとなのOFF 2013年11月号(日経BP社)の特集は、大きいほうが「おとなのための珈琲案内」、小さいほうが「おとなのクラシック入門ピアノ編」です。後者がより私の関心を引きました。それでも、この雑誌らしいといえばそれまでですが、これは初学者むけのようで、それでいて本格的なにおいをちらつかせながら、そう深くはないという印象でした。ピアノといいつつも、その前史を含めて取りあげられているため、避けては通れない名曲として、ゴルトベルク変奏曲が登場します。この曲に関して、「誰もが直感できる厳格な数理性と美の規則性」という表現がされているのが、少し引っかかりました。数理性、規則性は、そのとおりだと思いますが、「誰もが」とまで言ってよいのでしょうか。モーツァルトの脳(B. ルシュヴァリエ著、作品社)に登場する、音の高低という次元からもうわからない人ほどでなくても、あれを聴いてよい曲だとは感じる一方で、「厳格な数理性」を感じはしない人も、少なくないように思うのです。田中吉史・金沢工業大学准教授が、都立大時代に、反行や逆行に原メロディとの類似を見る人は多くないことを示していたと思いますが、楽譜のような聴き方をできる人でないと「見え」ないものもあるのではないでしょうか。教養のツボが線でつながる クラシック音楽と西洋美術(中川右介著、青春出版社)に、「楽譜の誕生は、音楽における規則性、法則性が整備されることを意味していた。」とあるのを思い出します。かつて広く読まれた大著かつ奇書、ゲーデル,エッシャー,バッハ あるいは不思議の環(D. ホフスタッター著、白揚社)も一応そうですが、作曲家の池辺晋一郎によるバッハの音符たち 池辺晋一郎の「新バッハ考」(音楽之友社)くらいになると、楽譜鑑賞の世界になっています。
音楽を専門としない人に、楽譜鑑賞的な「聴き」方を説明して、うまく理解してもらうことはできるでしょうか。その点で関心があるのは、NHKが放送しているオックスフォード白熱教室です。先週の第2回では、ゴルトベルク変奏曲が登場して、シンメトリーとの関連に言及されましたので、音楽家でない学生に「厳格な数理性」をどの程度説明できるだろうかと注目したのですが、まん中に序曲をはさむことなど、ごく簡単なことだけで流されていて、たしかにこれが無難だと思わされました。ですが、あすの第3回は、隠れた数学者たちと題して、芸術と数学とのかかわりを論じるようですので、もう少し踏みこんだ議論があるかもしれません。
なお、シンメトリーによる音楽美への言及は、最近出たバッハを知る バロックに出会う 「ゴルトベルク変奏曲」を聴こう!(塚谷水無子著、音楽之友社)にもあります。具象的なイメージをふくらませながらゴルトベルク変奏曲を読みとく本でも、すぐれて抽象的なシンメトリーの話題を入れたくなるというのは、興味深いところです。
楽譜でないもので、規則性を視覚的に鑑賞することはできるでしょうか。伝統的な楽譜ではない視覚表現では、やはりWIRED VOL.4(コンデナスト・ジャパン)の「ゴルトベルクを視覚化する」が忘れられません。まずは目がくらむほどの色とりどりに圧倒されますが、このやり方から作品の「軸」が浮かびあがるという有用性に、さらに目を引かれます。
さて、ゴルトベルク変奏曲というと、疑問の声も多いですが、作曲依頼の経緯も有名です。ですが、実際にそのような効果を期待してよいのでしょうか。寝るだけダイエット(古谷暢基著、マガジンハウス)によれば、「クラシックが苦手な人にとっては安眠に役立つ保証はありません」とのことです。一方、たとえば頭をスッキリさせる頭脳管理術(樺亘純著、PHP研究所)は、「ブルックナーの「交響曲第一~九番」、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は不眠に効果がある」と断言します。それにしても、ブルックナーが並べられるのも、しかも交響曲がひとまとめなのも、しかし00番と0番とははずされているようなのも、独特です。そういえば、信時潔は、信時潔音楽随想集 バッハに非ず(信時裕子編、アルテスパブリッシング)に収録された随筆「音楽の退屈」で、「ブルックナーの交響曲も緩い四拍子がしつこく続くので、豊かな音の波にゆられながらまいってしまう。」として、「ワルキューレ」第2幕や「ザ・グレイト」と共に退屈しがちな作品に位置づけていました。異論もありそうですが、少なくとも、昨年に一部で話題になった、集中力を高めるにはマーラーがおすすめと脳科学者・澤口氏よりはもっともらしいように思います。